(※浪人生注意!)同志社に来て思うこと、終わった挑戦と終わってない人。

眠れないので雑感など。


同志社に通うことを決めて1年近く経ちました。現役の頃のセンター試験が昨日のことのようですが、あれがもう1年前ということなんですね。


自分が阪大を落ちたとき、というか試験を受ける前から浪人しないことを決めていたのは、よく言えばmore1年と予備校のいくらかの費用をかけつつ再び落ちることと、同志社というある程度ブランドのある場所に落ち着くこととを天秤にかけた結果でした。
つまり、それは悪く言えば「浪人したけど落ちて同志社or立命館」という結果を恐れ、回避した、という捉え方も出来ます。


もちろん、志望校(そして自分の高校の場合、それはほぼイコールで国公立の旧帝大だったりその他の国立大だったり……)を目指すために1年間の時間と、そして努力をかけた方々を否定するわけではまったくありません
ただ、同志社に来て改めて認識したのは、浪人したけど同志社に収まった友人も何人もいたということです。もちろん大学で人生が全て決まるとも言いませんが、そういう人もいるということを、自分の目で見て実感した。それを確率論的なコスト意識ではなく、一人の人間の歩んだ結果として見た。
そして今、センター試験が現役比でプラスマイナス何点か、というのをちょいちょい見ていると、思うことがあるのです。


はっきり言いましょう。浪人した友人たちの中でも、いくらかは同志社に来ることになる。或いは立命館かもしれないけど。

それは、多分1学年440人もいるうちの高校の場合は仕方ないんでしょう。浪人して同志社に来る人の数も、だいたい決まってるのかもしれないし。(規模が大きければ大きいほど、自然と一定の数や割合に落ち着くはずである)。


ならば、仮に同志社に来た場合、ここで何を見つけるべきかということ。
文系の場合学費が50万⇒100万/年になるわけだから、せめてその差額50万円分の価値を、同志社に見つけられるようにしたい。
(それが目的で同志社に行ったわけではないことを断言しておくが)綺麗でハイカラな校舎でも良いし、キリスト教とそれをベースにした教育でもいいし、いろんな人を招いてたくさんやってる講演会でもいいし、私立大学ならではの学生のサポートでもいい。国立にはない利点があるからこそ、私立大学に来た意味があると思います。
小中高とずっと公立育ちだった俺と、例えばずっと内部で来た人なんかは、また見える風景が違うのかもしれませんが。


同志社はこれでも随分門戸が広くなったと思います。新設学部がここ数年でこれでもかというほど出来たし。そこまでやるかと、正直思っている。
まあ、私立と国公立は全然性質の違うものだから、比べても仕方ないけどもね。
正直こんなにあっても違いが俺にはわからんもんもたくさんある。
心理学部と文学部哲学科とか、社会学部ってそれぞれ全然違う学科じゃねーか!とか、理工学部のそれぞれの学科がよくわからないとか、どうやら文化情報学部は文化>情報のバランスらしいとか、だとしたら今度新設されるグローバル・コミュニケーション学部ともまた違うのか、そして外国語学部が意外とないけどその役割はグロコミが担ってるのかなどなど。あと神学部あるのはさすがだなあとか。



そんなふうにして、なんかこの1年同志社でやってきた気がする。
50万円がそこらへんに落ちてないか探しながら? いや、そこまでがっついてたかどうかはわからんけど。
ただ「私立大学とはどういうものか」っていうのをある程度感覚的にとらえるまでに、はっきり言って1年かかってる。性根がケチやからかな。