みんなと会ったあの日からまだ1年も経たないのに不安ばかりを抱きしめたまま次の春は待ってくれない

卒業に伴う文章第2弾。

その前にいくつか無駄話。
Take Fiveのデザインをリニューアルしてきました。3年目が終わり4年目に入ったのでサブタイトルを“troisieme partie(第3期)”から“GREEN DAYS”へ。それに準じてデザインも緑を基調とした明るいものへと変えました。明るい未来に対する暗喩って言ってしまうと暗喩にならないことに気付いた。
本当はもっとアバンギャルドな(言い訳。実態は意味不明な)デザインも考えていたんですが。一応4年目の“four leaves”にもかけて携帯版には四つ葉のクローバーをあしらってあります。
デザインいじってないブログは新緑が多いですけど、俺はそれなりに考えています。念のため。


録画したNHKの『歴史秘話ヒストリア』をまた見ています。テーマは小林多喜二プロレタリア文学の傑作『蟹工船』の作者ですね。
やはり小樽の運河はよいものですな。修学旅行で行った小樽で撮った中には、俺天才カメラマンじゃね!?と錯覚するほど綺麗な写真が何枚もあります。最近はデジカメの性能がめちゃくちゃいいですね。小さいカメラでも十二分に楽しめます。俺はカメラの機械そのものに興味はないから一眼レフがどうとか邪気眼レフがどうとかはどうでもいいけど、写真に収めるという行動そのものが好きです。思い出でもあるし、劣化しない姿でもあるし、四角い枠の中の配置を楽しむこともできるし、被写体の美しさを素直に楽しむもまたよろし。


4月3日のNHKのドラマ『大仏開眼』すげぇ!武士以前の時代って資料が少ないのとエンターテインメント的に面白みを出しにくいのでなかなかドラマ化されないけれども、今回は本気みたいですね。この時代だとどうしてもドキュメンタリー色が強くなる。俺はそっちの方が好き。エンターテインメントが欲しかったら乳母車にマシンガンを仕込んだチャンバラでも見るか、無駄にCGを盛り込んだ時代劇映画でも見ればいいからね。


本題。卒業式。
前日にちょっと練習しただけで、『旅立ちの日に』があんなうまく歌えるとは。感動した。やっぱり膳所高で良かった。校歌も未だかつてなかったくらい勇ましく情感に溢れていた。何だかんだで最後だと思うとみんな力が入るんだな。
卒業式が終わってもまだ卒業した実感がなかった。まだまだ日常が続いてゆくものだと錯覚してるから泣けなかった。
感慨に浸ることはありました。何だってそうだけど、やはり終わってみればあっという間。しかし、数年単位で振り返ってみた時にここまですがすがしい気分になれるとは思わなんだ。想いは前回のアーティクルに書いたけどね。


クラス一同からの偽プレゼントを見破ってしまう担任ってどうかと思う。スペック高すぎだぜ。うちの担任は頭の回転が速いのは分かってるけど、まさかこんなことにまでフル回転か。


うーん、あんまり筆が進まないですね。今回も携帯で書いていますが、普段からこんな長い文章を書いていたら腱鞘炎も起きません。鍛えられたなー。
でも書きにくいんですよ。今回の記事が1センテンスが短かったり、パラグラフの間にやたらスペースが空いて話題が変わっているのは、それだけ次に続く言葉が出てこないということです。


部活の後輩一同からはささやかなプレゼント。図書委員の後輩からもね。
基本的にずっと図書室でFinal Moratoriumを過ごしていたんです。打ち上げが7時半からとか言われて、まあ大規模な部活の打ち上げに行く人に配慮した結果だと思うんですが、とにかく部活の方があっさり終わった者としては時間が余って仕方がない。でもここにいれば友達は入れ替わり立ち替わり来てくれるしね。1人1人思い出して回顧しなくてもわざわざ来てくれるし、顔を合わせて最後まで笑っていられる。何十人の人を見送っただろうか。
誰も来ない時には独りでしみじみと思い出す。何もしない時間の素晴らしさよ!こうやってのんびりと過去を振り返ることが許されるのが卒業式。


ああ、どこに行っても写真撮りまくってました。カメラ片手に歩くってのはけっこう恥ずかしいもんだけど、この日ばかりはね。みんな最後の思い出が欲しいんだ。調子乗って100枚くらい撮ったから、やはりデジカメ万歳です。30枚ほどのベストショットはリサイズして携帯電話に放り込んであります。


名残は尽きない。しかし、5時で帰宅を宣告されました。行くところがない。アーカスで2時間待つという考えそのものに色々と無理があり、ストレスがピークに達したところで放浪していました。誰かと話したい気分でもないし(俺はいつもそんな気分かもな)。


この打ち上げに限らず、最近どうも食欲がありません。もっとガツガツ食ってくる予定だったのにあんまり食べる気が起きなかった。食事会が終わってからも俺は適当に過ごしてたし(さすがに会話に参加しない方がいい雰囲気出まくってたからね)、今思えば無理して残らずにちゃっちゃと先に帰ったら良かったと強く後悔しています。誰かが「帰れ」って口にしてたら間違いなく帰ってましたね。
これといって何もしていないのに、あたかも遊び倒して帰って来たかのような時間になっていた。制服だったからゲームセンターもカラオケも入れないし。アーカスのカラオケは高い。二度と行くか。ゲームセンターってあんなうるさいのにあんな時給安いのかよ。俺なら1時間で発狂する自信があります。


で、京阪で膳所まで帰りそこからJRと思ったら、野洲での人身事故のせいで電車が30分以上遅れた。最悪だ。混んでなかったから圧迫されたりはなかったけど、何せ不可抗力のネガティブな要素が多すぎる。前に何かで打ち上げした時も同じようなことがあったように思う。そういえばその時も、もう打ち上げには行きたくないと思ったような気もする。なのに行ったんだよね……行かなきゃ良かったとは思ってないけど、とことん打ち上げに恵まれないみたいです。行かない方がいいのかもしれない。
何だかんだで帰ってきたら日付が変わりかけてました。電車止まってるのは知ってたけど、両親がえらく心配していました。


あれ、思ったより早く終わりましたね。じゃあ未来についての話。


Take Fiveでは繰り返し言っていますが、俺は浪人はしません。大阪大学に落ちたら同志社です。俺は“大阪大学”に対して排他的なこだわりを持っているわけではないから。正直に言えば立命館しか受かっていなかったら考え直したかもしれないけれど、阪大と同志社を比べた時に、決して阪大⇒◎/同志社⇒×などではなく、まあ阪大⇒◎/同志社⇒○くらいなんです。私立ゆえの利点なども加味すれば、阪大というブランドに対してもう1年支払うだけのモチベーションはなく、またリスクも払いにくいので、思い切って同志社に行こう、という考え方です。


立命館も含めてすべて経済学部の経済学科を受けています。阪大だけは経済・経営学科といって、経営学部を内包しているのですが。
その理由は単純に興味があるから。学費が一番安いのは後付けの理由であり偶然で、俺は今までもこうして面白そうな方向ばかり選んできました。それは今が楽しければそれでいいという後先を考えない選択ではなく、どうせ選ぶなら楽しんでやれる方を選ぼうという社会的にもポジティブなセレクトだと考えています。


将来の職業も実は何のイメージもありません。医学部に行く人は医者になるために頑張っているのでしょうし、それは疑う余地もなく立派なことですが、誰もがそうして具体的なイメージに向かって進めるわけではありません。
でも、それを分かっているからこそ、選択肢を広げるための大学であり、自分が選ばれるように自分を磨くための大学だと思っています。
“選ばれなかったなら選びに行け”というのは、そのままの意味で取れば、特にこんなご時世においては、選ばれなかった者の本末転倒な妄想でしかありません。だから本当は“選ばれなかったなら選びに行け(るようになるために自分を磨け)”だと思うのです。
就職試験や面接で何社も合格すれば、それだけ未来だって選べますし。選ばれるに相応しい大学に入って、選ばれるに相応しい人間になるために自分を磨く。少なくとも俺に限って言えば、一直線に決めた、ないし決められたレールを歩くだけが人生ではないのではないでしょうか。俺は浮気症で、一つの目標を目指してまっすぐ生きることはまだできないけれど、だからこそ俺は誰かに選ばれ求められたらそれにいつだって応えられるような人間にならなきゃいけない。大学とは本来自分を磨き上げて有能な人物にしてやるべく通うところで、(仮に就職斡旋所の側面を持っているとしても、)社会的な地位――高い学歴を得るためだけに行く場所ではないのですから。
だから、自分の成長次第では、決して東大や京大に一方的に負け続けるだけでは終わらないはずです。もちろんレベルの高い大学というのは、割合だけを見ればそれだけモチベーションの高い人間が集まっていることは紛れもない事実ですが、ペーパーテストで直接的に見るのが自発的な努力そのものではなく、それが変換された成績である以上、どうしても多少のズレが生じてしまいます。勉強しかして来なかった奴でも東大京大阪大、ゴロゴロいるけれど、そんな人たちも大学で人間的成長がなければ話にならないということですね。もちろんそれが俺自身に突き刺さる言葉にならないように頑張らなきゃいけないわけですが。俺が願うことはただ一つ。企業の人事部が新人の採用基準を「とりあえず運動やってた奴」にしていないことです。そんな前時代的な決め方で行かれたら俺は勝ち目がなさすぎる。前時代だからダメなのではなく運動だからダメなのです。


まあ、それでも人生はいくらだって変えられるし、何かを始めるのに遅すぎるなんてことはあんまりない。結果の良し悪しはあるけれど常にやらないよりはマシ。でもあまりに回り道ばかりしているわけにもいかないのです。やり直しの効かない、許してもらえない世の中に生きる人生だからこそ、出来ればやり直さず後悔もせずに生きよう。そう思えば自然とラクな気持ちになってきた。人間に100点満点はないことは百も承知、でもあの時ああすれば良かったと強く悔やんで人生を「強くてニューゲーム」したくなるような生き方よりは、決して完璧じゃないけどまあまあ上出来かな、と思えるような生き方をしたいと思っています。


正式に卒業に絡んだ文章はこれでおしまいです。別にこれからも卒業の話はするでしょうけどね。
俺の高校生活も、“決して完璧じゃないけどまあまあ上出来”でした。良いこともたくさんあったし、夢のような時間でしたよ。それこそ本当に長い長い夢を見ていたような気がします。でも俺が膳所高生だったのは紛れもない事実であり、そこで手に入れたものはちゃんと俺の手の中にあると自信を持って言えます。
だから、これからの数十年間の人生も、人間である以上完璧ではないにしても、全部ひっくるめて楽しかった、と笑ってこの世を去ってゆけるように生きたいと強く願っています。死ぬ時に幸せだったと感じられたら、俺が誰かのために役に立てたと感じられたら、愛する人に囲まれて逝くことが出来たら、俺がいなくなって誰かが泣いてくれるなら、遺産なんかなくても、歴史に名を残さなくても、それでいいじゃないですか。他の人間ではなく、俺じゃなきゃいけないと言われるようになったらそれこそ幸せじゃないですか?それが、俺がさっき言った“選ばれる”という究極の形なのではないかと、つい思ってしまうのです。


膳所高校の仲間たちと、同じように大学を受験した俺の親友たちに幸せが訪れることを祈ります。