幸せがやってきた

大学の授業が始まりましたね。月曜日は情報系授業だけなので昼までで終わります。
でもネットワークシステム論の授業取れるんだったらちゃんと調べて履修しておけばよかったかな。
それだけ少し後悔がある。まあ、でも、いいでしょう。それもまた人生、で済まされるレベルです。
それよりも1年生からずっと、オフィスコンピューティング⇒ビジネスコンピューティング⇒プライマリプログラミング⇒ウェブコンピューティングまでやってきて、順調に人減りすぎワロタww みんな第二外国語と並行して履修しているようですね。俺は第二外国語をまったく取らないで来ているので(そのかわり?自由選択のイタリア語を履修している)、やめるわけにはいきません。
急に涼しくなって鼻風邪はひきましたが、過ごしやすい気候でのゆったりとした秋学期スタートです。


最近、うん、ちょうどここ1ヶ月くらいか。
多少のブランクがあったりしながらも丸4ヶ月(2ヶ月だと思っていたけどカウントしたらそれくらい経っていた)ものバイト探しが終結したのを皮切りに、すごく運が向いてきています。
すばらしい出会いもあり、10代最後の夏休みに楽しいイベントもあり、毎日が刺激的だったり穏やかだったり、そんなふうに夏休みを過ごしていました。
前期の間は何をやってもうまくいかなくて、正直心身ともに堪えるなぁと思っていたんですが(軟弱ともいう)、ここ1ヶ月は何をやってもある程度うまくいきます。失敗があっても本当に幸運がカバーリングしてくれます。幸せの相乗効果です。それに溺れてはいけないけれど、この確変感。いや、悩みはあるけどね。
ナメカタさん基本的に要領が悪いので、少なくとも一回は失敗して身をもって体験しないと学習できないんですw
だからこそ失敗経験も大事にしたいし、何もかもうまくいかない時期も自分のためと思って生きていますが。
でもねーケチだから、あんまり無駄足ばかり踏みたくない部分もちょっとある。


それと、短期間でハッピーもアンハッピーも両方、大きな落差で経験したから気付いた、というか思い出したこと。
長いスパンで見て、今がつらい時期とか楽しい時期とか、今日はツイてないとか、自覚していればどんなことも一過性と思えるから怖くはない。
いつかまた運気が逃げて行ってどうしようもなくなる時が来ても、また幸せな時期がやってくると思えば頑張れるんじゃないかな。
そんなことを考えています。


新しい仕事とか、慣れないことや悩みももちろんあるけれど、それでも毎日が楽しいです。大学に入ったばっかりの頃の、毎日が新鮮だったあの感情を思い出しつつ、幸せはできるだけ他の人とシェアしたいなぁと、ガラにもなく優しい言葉も出るってもんです。
人生の間にはいろんな時期があるんですね。この20年弱の間でも、勉強ばかりしていた時期、何をやってもうまくいかなかった時期、一時的に地元での生活から離れていた時期、いろんなことがありました。完全な意味で一本調子でルーティンワークな人生なんてなくて、生きていればいろんな変化が起きる。
それを大切にしたいと思うし、何も変化がなくても俺は退屈しません。パッと見て何も変化がないように思える生活の中でも、月がきれいだなぁとか、深夜は涼しくて気持ちがいいなとか、そういえば田んぼが青々と育ってるなとか、そういうことを目にしていちいち考えたり、しみじみと物思いにふけったりする性格なのでw
受験期に勉強ばかりしていても、そういう自然の変化を感じることは忘れないようにしよう、って14歳で決めてから、毎年季節の変化には敏感だし、大学入ってからは天気図までちゃんと毎日見てるし、ついでにすぐ風邪もひくw


物思いにふけるだけじゃなくてすぐ泣いたりするのも含めて自分の性格なんですが、それが損なのか得なのか。
無感情よりはマシなんだけど、そもそも男が泣いてはいけないという考え方なんて琵琶湖に沈めてきてしまったので(それに限らず琵琶湖に沈めたものはたくさんある)。
前回の「面白そうだからやってみたい、知りたい」という理由でゼミを志望した件も同様に、自分で行動できること、自分で決められることに関しては、自分の気持ちに正直に生きることができて、伝えたいことをTwitterでもマンツーマンでもどんどん伝えることができて、すごく幸せだなって思いながら、これからも生きようと思うのです。


高校時代はこんなことばっかり書いてたw ずいぶん久しぶりな気がします。