シェア、資本主義、商業主義、過大広告
- 作者: レイチェル・ボッツマン,ルー・ロジャース,小林弘人,関美和
- 出版社/メーカー: NHK出版
- 発売日: 2010/12/16
- メディア: ハードカバー
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マジやめて、本当にもう出家しかなくなるからこれ以上大量消費の商業主義・資本主義社会をdisるのはやめて!
この時点で、俺のHPはとうの昔に0である。“使い捨て製品”が豊かさの象徴であった時代はとっくに過ぎ去り、今や環境破壊の槍玉に……。
過去を陳腐化させない製品も、使い捨ての製品も、それなりに良かれと思って考えられたものだったのだけれど。
だいたいモノが壊れて買い替えを促すシステムが悪であるなどという考えは100年も前から存在していたわけで。それが100年点灯し続ける電球であり、15年間モデルチェンジをしなかったT型フォードであり、その方法は新製品の前に破れて行った。
地デジなどその典型か? 需要の先買い。電波云々の話は嘘ではないと思うが、建前ではあると思うのだ。
あ、個人的にはポルシェのようなデザインの伝統は、どちらかといえば過去を陳腐化させにくいと思うのだけれど……。
で、100年使える電球はめでたく今日110周年を迎えた。全くの偶然だ!
っていうかアメリカ倉庫多すぎじゃね、と思ったら、うちも家一軒潰したから例外的に倉庫をひとつ使っていることを思い出した。
あとデビッド・フィンチャーの(こないだ『ソーシャル・ネットワーク』2回目観たのにまたフィンチャーかよ!)『ファイト・クラブ』を観てみたいような観たくないような。バイオレンスは怖いのだが、モノで満たされる全能感に対する興味はある。
広告とか所有欲とか消費とか、人間って全然進歩してなくないか……消耗品でもないのに所有欲だけで複数買いまでしてるんやで、人間なんてアホやと思うで。
広告に釣られる人間。何かを所有し使用することがカッコいい、セクシー、力強い、スマートという価値観の植えつけ。或いは広義の(誤解を招きかねないほど広義である)ピンク産業とか。シンボルマークとしてのアイドル稼業のことねw
それはやっぱり心理学でいうところの同一化なのかなぁ。憧れから来るものだとしたら。
さっきの広告とシンボルマークとピンク産業の言い方で続けるなら、ごく僅かな性欲が購買欲を突き動かしているのだ、と考える。俺は普段からそう考える。そう考えないと辻褄が合わないようなコンシューマーが確かに存在しているんだもの。
あと、『シェア』の今読んだところまででは触れられていないけれど、「コンプリート欲」も刺激すると際限なく買う人間はこの世に山ほどいるということも、個人的異見として書き添えておきましょ。無駄無駄無駄ァ! まー複数買いとコンプリート欲だけはよくわかりませんわ。後者は自分もCDとか集めるからまだしも、前者は特に理解不能。
まー、ここまでの意味で広告は何一つ変わってへんわな。人間のリテラシーと判断能力そのものが進化していないのだから当然といえば当然。
むしろ消費者は広告によって商品の選択、買うかどうかの選択権を放棄させられた、いや放棄してしまったのではなかろうかと感じる……。
消費者の幼稚化について、もっと考えてメディアで論じてほしいと思うのだけど、マスメディアそのものが視聴率やスポンサーからindependentではないし(だからこそマスメディアなのだ!)こりゃ無理だなと。NHKでも無理だよー。
自分は一時的にバイト片方やめて経済活動が緊縮して、物欲も減ってある意味ハッピーになった気がする。
いや物欲は延期してるだけだと思うが……? でも無駄な金は使わなくなったのだからこれでよろしい。本当に欲しい物は延期しているし、また買えば良い。
部屋からもいくらかモノは減らしたことだし。結局この世界の中心である自室から、墓場まで持っていくものってどれだけあるんだろうな、と思ってみる。そして、墓場まで持っていかないもののうち、必要なものも確かにあるが、だいたいのものは「置いてある」状態であることに気づく。捨てて買い直すも無駄、倉庫に置いておいてスペースを食うも無駄、である。
そういったものはなるべく買わないに限る。もらったりして仕方ないケースもあるが。だいたい土産物などは要らないタイプの人間です。
とりあえずまだ『シェア』は全然読み切っていないのだけれど、内容が濃すぎて最後、絶対に感想などまとめられないので、随時こうしてぼやき続けていくことで、感想に代えようと思う。