「帰化するならその国に骨を埋めても良いという気持ちで帰化すべき。」

「代表選手になりたいだけならやめておいた方がいい」
とは、かつてのJリーグ選手、三渡洲アデミールの言葉です。「国籍とはなんぞや」という事について、思うことをつらつらと。


少し間が空きましたが、アジアカップでのザッケローニ・ジャパンの優勝おめでとうございます。
まあ韓国戦で延長で勝ち越した瞬間に及び腰になっていた時は激怒していましたが……根性論ではなく、ちゃんとした戦略としてね。


まあ、なんだかんだで最後、あまり出番がなかったはずの李忠成選手何故かフリーでゴールを決めてくれたわけです。なんでフリーだったのかは分かりませんが、アンチを黙らせてくれたと思ったのは確か。
でも、この時に思ったんです。それは例えば先程の三渡洲アデミールとか、同じく高校時代から日本に来てた三都主アレサンドロ、李選手と同じように在日韓国人(韓国系日本人、でもいいよ)で日本国籍を持った国本京佑選手のこととか。
もっと言えば、国本選手も李さんみたいに活躍してくれないかなぁと思ったんですね。
ニコ・ロズベルグをごらんなさいよ。彼の親父はフィンランド人だけども、ニコはフィンランド語しゃべれないし、

中東チームの代表にもブラジルから帰化した選手は山ほどおったし。日本でも前述の二人は高校時代から日本にいた。ラモスさんは30越えてから帰化した。闘莉王日系ブラジル人だから帰化してくれても全然おかしくない。
日本国籍を取ってしまえば書類上は日本人ですし、それで代表に入るのは全然いいと思うんです。ちゃんと帰化の審査基準だってあるんだから。
そのくせ帰化してくれた李さんをあーだこーだ言う割に、ノーベル物理学賞取った南部陽一郎さん(現在は日本国籍を喪失、一応アメリカ人ということになる)をdisることはないしね。
よく分からないでしょ。ダブルスタンダードじゃね? 一体俺達にとって、何が日本人なのか。少なくとも国籍ではないことは確か。
しかも国籍ではない矮小な“何か”で判断しているんです。生まれなのか血筋なのか知りませんけどね。それを言い出したら「純な日本人など存在しない」というところまで遡らなきゃいけなくなる。そりゃ無理ってことかい。


国籍がなくても、「永住権」のある人はどうかとか、そういうのも「国民」という言葉の定義で変わってくるんですね。普通は外国人は国民に入らないけど。初めて知った。
ちょうど、GNPとGDPの違いにも似ている。国籍とか国民とかそういう考え方がGNP的であるとしたら、俺はGDP的な見方かもしれない。
或いは、これは根拠のない見方ではあるけれど、「日本国民ではない(=外国人である)が草津市民である」という見方が出来るのであれば、地方政治への外国人の参加も正当なものになるね。
もっと細やかなルール設定が出来ればいいと思うんだけど、現実的かどうかと言われるとそれも分からんしなあ。永住権がどうとか日本在住年数が何十年だとか。
かといって二重国籍は日本では不可でしょ。未成年の間に許容されてはいるけど、最後は1つに絞らなきゃいけない。
日本は血統主義だから、アメリカとかの出生地主義とは意識も変わってくる。

そう、外国人参政権とか、朝鮮学校問題も、また別の話です。
確認してきたら、日本人学校は主に日本の公立である場合が多いんだね。それじゃあ日本の税金で朝鮮学校が動くのは問題になるわけだ。やっとわかった。


結局、「彼は何人(なにじん)か」という問いかけは、実はものすごく無意味なことではないかと思うんです。政治的な意味はともかく、心の持ちようの面で。
自分自身のアイデンティティをすっきりさせるためなら、「彼は自分の事を何人だと思っているか」「彼が故郷と感じているのはどこか」という方が、正しいのかもしれません。