Sing Out Gleefully / 音速の彼方へ

先週の3連休の記録。

さて、まずは、
SYMPHONY ORCHESTRA CONCERT
槇原敬之 “cELEBRATION 2010” 〜Sing Out Gleefully!〜
Supported by BEAMS
(2010年10月9日 大阪城ホール
のレポートをを書いておきます。 盛大にネタばれしてますのでご注意を。
とりあえずセットリスト。


?部
01. Overture
02. Wow
03. 花水木
槇原敬之の足跡をたどるメドレー
04. NG
05. ANSWER
06. 北風

07. 遠く遠く
08. 君は僕の宝物
09. 君に会いに行く

?部
10. 世界に一つだけの花
11. CLASS OF 89
12. Witch hazel
13. I ask.
14. Firefly 〜僕は生きていく
15. 太陽

※Sing Out Gleefully!メドレー
16. もう恋なんてしない
17. GREEN DAYS
18. どんなときも。

19. Circle of Rainbow
20. ムゲンノカナタヘ 〜To Infinity and Beyond
21. 僕の今いる夜は

Encore
22. 不安の中に手を突っ込んで
23. Turtle Walk



ライブの定番・CD販売が行われていた。
書籍『地球音楽ライブラリー 槇原敬之』ってのと、『Such a Lovely Place』(1997)以降のアルバムと、『Strange Attractions?』などの古いDVD。でも『SELF PORTRAIT』(1993)以前ばかりの曲目と全く合ってない。ざまあみろ。


もっとケチ臭くエイベックス移籍後のライフソングで固めてくるかと思ったけど、意外とそうでもなかったね。前回はSME無双だったけど今回WARNERばっかり。しかも4thアルバムまでの曲ばかりで来てる。
『花水木』『Wow』といった聴きごたえのある曲ももちろん素晴らしかったけれど、どう考えてもオケに出来ないと思ってた『NG』『Witch Hazel』『GREEN DAYS』『ムゲンノカナタヘ』『不安の中に手を突っ込んで』といった曲も、見事なアレンジでした。
特に『Witch Hazel』は、あの独特のテンポ感をオーケストラで表現できてるのはドラムの屋敷豪太さんの妙ですな。 定番『太陽』『I ask.』もいいね。




アレンジャーにスキマスイッチ常田真太郎が加わってたしお祝いの花もあった。美輪明宏からも。スポンサーはBEAMSでしたが、前回のバンホーテンココアのような観客へのサービスはなしww ココアくれよー!


なぜ出したしwwと思うような曲としては『彼女の恋人』カップリングの『CLASS OF 89』。マイナーすぎて誰もついてこれてなかった。




前回のLong Distance Delibery Tourの時はバンドサウンドがズンズンと伝わってきたけど、今回は距離もあったし、そこまででもない。バンドだと俺は各パートの音を分離して聴いてるけど、今回オケということもあって、人数が多いのにむしろ一体感は増しているように感じた。
?部からは龍谷大学混声合唱団ラ・ポールのコーラス隊も参加していた。俺もあのなかに入りたかったなーと強く思う。
もし龍谷に行って合唱やってたら? ってそりゃもう違う人間になっちゃうよ!


美しいかどうかと言われればもう文句なし。バンドもオーケストラも素晴らしい。どんな言葉を使えばいいかわからんね。
CDやDVDが絶対に出るから、それを聴いたらまた感動が蘇るんじゃないかなと。
言葉では伝わりきらないけれど、行って良かった。何ヶ月も待った甲斐があったし、高いカネ払っただけの価値もあった。俺にとっては一生の思い出に残るような特別なライブになったんじゃないかな。



次は10月10日、日曜日の話。
明光義塾のミーティングだったわけです。仕事の話なんで内容は言わないでおくけど、この仕事は自分にとってものすごくプラスになっている。
前にも言ったかもしれないけど、常に現実と理想が乖離している仕事だから(つまり、生徒に勉強させようと思っても実際は机に向かってくれないと)、問題解決・対処を常に考えている。


基本的に塾に入ってしまったら“バイト”はNGワードやし、シフトも急に誰かに代わってもらったり出来ないし、ミーティングで啓発までやるし、こりゃもう心構え的にはバイトじゃねーな。こっちも“バイト”っていう自覚ないですからね。


それはそれでよかったんですが、そのあとの飲み会がまあ、
F1を見られないのを忘れさせてくれるようなgdgd長々と飲み続ける会だった。
おかしい、こないだまで同僚の名前を覚えるのに四苦八苦してるような感じだったのに、どうして俺は彼らの偏った性癖まで把握するようになってしまったのだ……。どうかしてる。うんどうかしてる。


とりあえず“2時間”とか時間を決められていたわけではないので(オーダーストップはあった)もうね、延々食うか飲むか話すか。俺はヤケクソで終電見送ったし。結局その後冷水に自転車で送ってもらって2回転落し、途中から徒歩で帰ってきたのだが。あれは冷水完全に怒ってたね。うん、ごめん。


あの後自分の自転車に乗ったら何かいつもよりもすごく揺れていたような気がするので多分揺れていたのは自転車ではなく自分の意識だったのでしょう。
先週ビールを中瓶1本とグレープサワー飲んでもいのっちに絡み酒するだけで済んでいたのに今回ひどかったですね。寝不足だから?
人の名前を覚えなければ、とか逆に覚えてもらわなければ、という危機感を感じる必要がなかったのでそういう意味では気楽でしたね。


世界は思ったよりもずっと狭かった。高校的にも大学的にも俺が完全アウェーだった。それでも元々面識のある人間が2人もいてくれるのはやっぱり世界は狭かった。
共通の知り合いがどうとか、身内の知り合いがどうとか近所がとか恩師がとか、世界は狭かった。孤独だと思っていても、どこかで誰かがつながっていて、自分もその網の中に居るのだと気付いた。少なくとも地元ではそうやね。





アイルトン・セナ 音速の彼方へ』 見てきました。二条のTOHOシネマ。グッズもパンフレットもなく、席もガラガラ、たくさんいた客はほとんど関ジャニBECK君に届け見に来たヤツ……。ましてやこの歳でセナ見に来てるのはかなり稀でしたが、俺の周りはそんな友達ばっかりだから麻痺してる。


セナの経歴等についてはWikipediaの『アイルトン・セナ』の項目か、各書籍を参考にしてください。俺も2冊あります、セナの本。
近年の本で言うと、『セナvsプロスト―  史上最速の”悪魔”は誰を愛したのか!?』(SAN-EI MOOK) なら、本屋で見かけた方も多いんじゃないでしょうか。

基本的には'84 ウィリアムズのテスト、トールマンでのデビューと、モナコでの鮮烈な走り(2位走行中に赤旗、幻の優勝と化したアレ)あたりから、'94の死亡事故の後のことまでが綴られています。
各国のメディアが残した当時の映像がふんだんに用いられており、そこには、中継始まって間もない頃のフジテレビの映像もたくさんありました。今宮さんや川井ちゃんも出てた。
っていうか、 映像が古いせいか、或いは字幕のフォントのせいなのか、あまり2010年の映画という印象はありませんでしたね。


セナと、プロストに焦点を当てながらドラマが展開されていました。けっこうプロストが悪役になっていた。
ホンダとの繋がりや、'87年の悟さんはもちろん、ピケやマンセルも殆ど出てこなかった。シューミーさえもね。
でも'93末のプロストさん引退時に和解してからは、セナ財団の話も含めて、まるで更生した悪人のようにプロストを善人としている……。ストーリー仕立てと言ってしまえばそれまでやし、セナに焦点を当てているというのは或いはそういうことなのかもしれない。


ロータス時代までは、サクセスストーリーのど真ん中に居るようなアイルトン・セナの姿が描かれていたけれど、マクラーレン在籍中はもうシリアスすぎて見てられなかったくらい。
ウィリアムズ移籍後も、結末を知っているとはいえ、バリチェロの骨折、ラッツェンバーガーさんの事故死などを見ると、やはり怖くて……当事者たちはどんなに怖かっただろうと思う。
その前の1990年のスペインGPでのマーティン・ドネリーさんの大事故の時でも、セッションの中断はあったものの、結局レースは普通に行われてた。
彼らはいったいどういう精神状態で、ライバルが命の危機に瀕しているなかで戦っているのだろう。
それが悪いわけではないけれど、それを第三者から見ていると、 まるで何かに取り憑かれているかのように錯覚してしまう。
スポーツとは、戦うとはなんなのか、彼らは何のために命を懸けているのか、普段当たり前のように見ていても、ふと疑問を持ってしまうのだ。


しかし、セナの死のおかげで、と言っていいのかはわからないが、少なくとも彼の死をきっかけにして、危険だったF1の安全基準が見直されたことは紛れもない事実である。
人が死ななければ動かないことは人間の愚かさだと思うが、 そのおかげでF1では過去16年間、ドライバーの死亡事故は起きていない。それだけの安全を成立させるために、ひょっとしたらアイルトン・セナは、人身御供となったのではないだろうかとつい考えてしまうのだ。