不安の中に手を突っ込んで

初めてのアルバイトに行ってきます。

草津市立図書館の蔵書整理のアルバイトです。朝8時45分から夕方6時30分まで。とりあえずSquierのStratocaster(とシールド。エフェクターはとりあえず後回し)を買えるくらいまで貯金するのが第一ステップ。サークル活動をどれくらいの頻度でやるかはまだ全然分からないけど、ギターそのものは一旦買ってしまえばどういう形であっても音楽を続けて行けますからね。
それにPCを持つようになったらCakewalk Music Creator 5も導入してみたいし。欲しいものが山ほどあるわけじゃないけど、やっぱり5〜6年前の物欲のない自分からは信じられないくらい買いたいものや行きたいところはある。日本橋……は行っても意外に買いたいものがなかったりする時もあるけど、らしんばんとかK-BOOKSとか、日本橋にしかない店にも久々に行きたい。
後述するcELEBRATIONを東京に(大阪でも行けると思うんだけれど、諸般の事情により東京を希望)見に行くならその軍資金も貯めたいしね。とにもかくにも欲が深い自分自身に軽い自己嫌悪を抱いてはいますが、まったくの“誤差”と言ってしまって差し支えないでしょう。それくらい今の俺は強欲なんだわな。モノに対する欲が強いから、ヒトに対してかけるカネをケチってしまう可能性は大いにある。俺はもともとヒトやサービスにかけるカネはとことん削るから、夜行バスは安い席で取るし、マトモな外食も滅多にしない。こんなんだから彼女できないんだよと思った。そっち方面は無欲というのもまた困ったもんですね。
というわけで面白くも何ともないアルバイトの説明とレポートと行きたかったんですが、本当に何にもないバイトですよ。他にも目をつけてるバイトはあるから、そっちも見てみましょうかね。図書館はあくまで勤労という勉強をさせてもらうところだから、来年以降も続けるかどうかは分かりません。


ところで、久々に槇原敬之メールマガジンが届きました。来たる6月30日に17枚目のオリジナルアルバムを発売するそうな。その名も『不安の中に手を突っ込んで』。またよくわからんタイトルがついとるぜ……でも約1年半ぶりのオリジナルアルバムですから、楽しみにしようと思います。


●NEWアルバム発売が決定!!

new album 「不安の中に手を突っ込んで」

2010年06月30日(水)発売
YICD-70075
価格:3,150円(税込)

今後、情報が入り次第随時更新いたします。どうぞお楽しみに!!


収録曲は『ムゲンノカナタヘ』『ビオラは歌う』『In love again』などの情報がすでに入っていますが……あと『冬のコインランドリー』が入るかどうか微妙なところ。15th album『悲しみなんて何の役にも立たないと思っていた。』の時もそうだけど、先行シングルが1枚しかないんだよね。前回は移籍が絡み、今回はツアーと20周年を挟んだために楽曲が出なかった。『ムゲンノカナタヘ』の売り上げも散々だったし。
だからこそ(?)また良さげな曲がシングルカットされたら面白いだろうな、と思ってはいるけれど、そんなことしたらますます売り上げは奮わなくなる。そうやって自然消滅していくことだけは回避して欲しいし、そのためにももう一発当てて欲しいですよね。また秋にはオーケストラコンサートのcELEBRATIONやるみたいだけど、前回(ちょうどSMAPの『世界に一つだけの花』から13th album『EXPLORER』につながる一連の盛り上がり時期)ほど光が見えないことにものすごく危機感を持っています。まあ俺が危機感を持っても仕方ないんだけれど。


毎日のようにアドレス帳に人が増えていきます。普段から完璧に管理しているので(全員が,font color=red>姓名の間は全角スペースですよ)、管理しきれないということはまったくないんですが、一回会っただけで連絡先を交換してしまうから、ひょっとしたら顔を忘れてしまうかもしれない。今のところ基本的に忘れてないけど、これから先は果たしてどうなることやら。
同様にマイミクさんもメキメキ増えていきます。これは別に大学の人がにょろにょろ増えているというわけではなく、同志社の人がちょっと増えたついでに今までマイミク申請を躊躇[ためら]っていた人に無遠慮にマイミク申請しまくっているのと、今までの友人にもmixiをやってるか問い合わせているという方が遥かにデカいです。むしろ大学のマイミクの伸び率はそんなに高くない。あと高校の同級生でも3人くらい断られてるけどね。足あとまで付けたのにマイミクしないとなれば逆に笑えてくるよね。いやマジで。
でもこっちに誘われて早1ヶ月、というか使い始めた初日から完璧に使いこなしてますけど(俺はこういうのだけは短期間で効率の良い使い方をマスターしてしまう)、いろいろやっていて思うのは、mixiはリアルで新しい人脈を広げていく時期との親和性が非常に高いということと、一昔前と人付き合いのしかたがずいぶん変わってきたということ。
俺は基本的に現実での生活や既成の人脈の延長線上でしかmixiを利用しませんが、これを使うことで相手をすぐに知ることが出来る。その気になれば初対面の人に対してあたかも10年来の親友であるかのように振る舞うことだって不可能ではない。現に、実際に10年以上の付き合いのあるバギーについてと同レベルのパーソナルデータをすでに持っている友人も何人かいるわけで。少なくとも趣味やある程度の思想といった記号的なパーソナリティはmixiで瞬時に分かりそうです。
俺は他人を見る目がひねくれているので、その文章一つからその人性格やの日本語力や教養の付き方まで見ていますが、そこまで見始めるとみんなスットコドッコイに見えてしまいますからね。要するに文章が没個性的で人によって文体の差ってなかなかないんだけど、そんな現状自体が“普通の人”(あえてクォーテーション付き)が求めている文章なのかもしれません。以前そんな話を聞きました。ちなみに俺は複数の文体を使い分ける能力がないので常にこんなんです。掲示板で常に自分の文章だけ浮いてる人間の怖さがお分かりか。


それに人間関係(の情報面)を管理・記憶する役割が人間から携帯電話のアドレス帳へと移ってしまったから、俺たちの親が俺たちと同年代だった頃よりも明らかに人脈は広がったよね。それは取り立てて友人が多いわけでもない俺のアドレス帳が200を超えていることが何よりもの証明。敢えて良いニュアンスを付けずに言いますが、いわゆる“顔が広い人”だったらどれだけ登録されているんでしょうね?一度聞いてみたいと思っています。


実在する人間に対して(とりあえず複数アカウントとかはナシにして)1:1対応でプロフィールページがあるこのご時世。mixiで簡単に他人に“会う”ことができ、相手の表面的なパーソナリティを知ることができ、携帯電話のアドレス帳で簡単に距離や居住地という壁を超えて他人とのつながりを保つことが可能になったから、あたかも親友がたくさんいるかのように勘違いしてしまいそうになることに対しては俺も同罪なのかもしれない。しかし、だからこそ俺は、例えば『親友』という言葉の定義が、昔に比べて軽々しくなってしまったのではないだろうかと思うことが多々ある。ちょうど『ヤバい』が軽々しく使われたり、『貴様』が敬称から蔑称に変わったりしたように。
言葉とは使用者のニーズを受けて変化していくものだ。平安貴族の言葉には美を表すものはたくさんあるし、アラスカのイヌイットなどの言葉には雪に関係した言葉が山ほどあるというが、後者に関しては結構怪しいらしい。まあ、夏目漱石芥川龍之介の時代から、“全然”の後には必ずしも否定系が入るとも限らなかった(もっとも、芥川たちの場合はわざと俗っぽい雰囲気を出すために使っているのだが)。だからある見方を取るのならば、言葉とは絶えず現状に合わせて変化するものだから、その流れに合わせて言葉の変化を見送ればいいという考え方も可能である。
同様に、友人付き合いの在り方の変化に関しても、或いは時代の流れに合わせて放置しておけばいいのかもしれないが、お節介で口うるさい男の老婆心ならぬ老爺心として、どうしても変わっていく現在について行くことが出来なくなってしまったのだ。


友人というものは付き合いの長さと深さに(基本的に重要度は密度≧長さだと守山にいた頃に思い知った)比例してその人のことをどんどん知ってゆき、自分も相手も成長の過程において変質してゆくのが本来のプロセスだから、そこまで他人を深く知ることには、ひょっとしたらmixiは向いていないのかも、とも思う今日この頃です。それは実際に毎日一緒の学校に行ったりして暮らすことでしか得られない情報や満足感なんだとしたら、face to faceの友人付き合いも、ひょっとしたらまだまだ廃れてはいないと希望を持ってもいいのでしょうか。


あ、大学一緒の方、よろしければマイミクどうぞ。