光舞うステージは色とりどり願いが広がる

2010年は行きたいライブや映画だらけ。でも何一つ予約していないし、身動きも取れません。

昨日、カラオケの帰りに本屋に寄った際、やましがヘタリアを探している隙に、声優雑誌Pick-up Voicevol.28を立ち読みしてきました。最近は読む雑誌に節操がなく、アニメ誌・自動車誌・音楽誌を合わせれば10種類は軽く読んでいるはずで、そこにプレジデントやらGetNaviやら、或いは模型雑誌やらいろいろ加わるもんだから1ヶ月を通じて必ず何かしら立ち読みしたい雑誌があります。今だってヤングエース読みたい。
で、今回の『Pick-up Voice』の表紙及び巻頭特集が茅原実里一色だったわけでして。写真映りも最近の中じゃ一番良いし、記事(インタビュー)の内容もニューアルバム中心で読み応えがあった。これで700〜800円くらいまでなら思い切って買えるんだけれど、1,200円はちょっとなぁ……定期じゃなくてたまに読むだけでも、4ケタになると雑誌ってなかなか買えません。どっかにスキャンしたJPEG画像でも転がっていないだろうか。


で、隣国の襲撃(それこそハッカーでも暗躍してたのか?何なんだ襲撃って)から復旧した2ちゃんねる茅原実里スレを久々に(オリンピック開幕前以来だから本当に久しぶりだ)見てみたら、いつの間にか武道館ライブが開催されることになっていた。良かったじゃないですか。
武道館か……当然ながら行ったことないですね。最近は武道館よりもキャパシティが大きい劇場も多いらしいので、道理で観客動員数がポンポン更新されるわけだと思っています。
元々が音響施設ではないということを失念していました。良い音を作るってのはそんなに大変なのか……。でももうこんなに武道館やる人がいたら、ありがたみも薄れてくるんじゃないの?と思いながらWikipedia『日本武道館』の項目を読んでいたら、やっぱり武道館講演の現状には良い点も悪い点もあるみたいです。具体的には知らなかったわ。
ひょっとしてメジャーな人が一通り武道館ライブをやって供給が一回り、アーティストサイドからの需要が枯渇してたりしないだろうか。今出てくる人がどれだけビッグになって行くかは分からないしね。10年もつ人がどれだけ出てくることやら、本当に分からない。もちろん昔から、ある一定の人は人気が出て残っていったし、一発屋やその時だけの人気しかなかった奴は消えていった。だから一概に「昔は良かった……」とノスタルジーに浸る気はありませんが、今人気の若い人やこれから人気が出てくる人の中からも、10年、20年、人気があり続ける人がいたらいいね。若いアーティストを使い捨ててゆくのではなく、一段一段ステップアップして、下から若い人がやって来る、という使い方をしてやって欲しいです。まあ、人気商売ではあるけれども……自分たちがボロ儲け出来なかったら窓からポイッと投げ捨てるのだけは、勘弁してやって欲しいと強く思います。


リスナーも「古い曲を聴くべき」とまでは思わないけれど、自分の青春時代を共に過ごした音楽を大事にして欲しいですね。俺が歌謡曲やらニューミュージックっぽい曲が好きなのは単なる好みですから。
きっと今の時代にもユーミンみたいにクォリティのブレないとんでもないアーティストはきっといる。俺たちが歳を食ってもまだまだ現役でいるミュージシャンはきっといる。そういう人たちへの愛を尽かさないで欲しい。
でも、新しい曲を聴いて古い曲を捨て、忘れてゆくのではなく、気に入ったら新旧関係なく、それこそ無節操に聴いてみたら楽しいんですよ。だから周りが、敢えて死語的な表現を使うなら、「イケてる」と思っているかどうか、そんなに無理して気にする必要はないんじゃないかな。まあおっさんになったら放っといても青春時代に帰ろうとするのかもしれませんが。

と、ここまで書いたところで、家にある何枚かの(多分全部ある)倖田來未ベストを聴いてみた。初めて彼女のことを知ってから気がつけば7年経っていますが、マトモに歌える曲はあんまりないけど、何だかんだで聴いたことのある曲はけっこうたくさんある。デビュー10周年を迎えてテレビに出ているのを見ていると、この人はまだまだ残っていきそうだな、と思います。性格なのか体質なのか育ちが理由か、大なり小なりスキャンダラスな部分もあるけど、それこそ世間がどういう反応をするかだわ。エイベックスほどいかにも“商業的”な会社が、稼ぎ頭の倖田を手放すはずがないし。
どこか違和感があると思ったら、楽器を演奏しているところを一度も見たことがない。ダンスミュージックやクラブミュージックからスタートする路線で、今でもずっとそうだからでしょうか。“歌姫”って言われてる印象はあるけど、楽器出来るのかどうかさっぱり分からない。じゃあ作詞とか音楽理論的なことはどうやって勉強したんでしょう。これについては後ほど。
あの「関西のねーちゃん」な雰囲気は、他地方の方にはどのように見えるんでしょうか。ちょっと京都の高校生とか(そうだ、そういえば京都出身だったんだこの人は)、ヤンキーっぽいねーちゃんはみんなあんな感じなので、こと喋り方やイントネーションの付け方に関して言えば、関西弁が全然消えないのもあって、本当にコンビニやスーパーに行ったら会えそうに思うのは俺だけ?身近すぎるくらいだ。
あのまま綾戸智絵みたいな豪快な関西弁のおばちゃんになって欲しい。それはそれでいいキャラクターになる。


最近現代のポップスで重要なのは作曲よりも編曲なのではないかと思う。シンガー自ら作詞・作曲している例はあるけど、編曲までする例はシンガーソングライターでなければあまりお目にかかれない。作曲なんてAメロ、Bメロ、サビがあれば何とかなるしね。コードが分かっていなくても旋律ひとつあれば1曲に仕立て上げることは出来る。
かの往年の喜劇王チャールズ・チャップリンは、自ら主演・監督・音楽などをこなしていたといいます。それも今ほど映画のスケールが大きくなく、それぞれの分野の専門性も少なかったからこそ出来ることですが、彼の作曲はなんと鼻歌だったとか。それを編曲家が一人前の楽曲に仕上げていたらしい。
今の歌手なんかでも絶対そういう奴はいる。自分も同罪であることを認めたうえで言いますが、
俺たちはまず編曲を聴き、次に歌詞を聴き、最後にメロディを聴いている。
そうでなければド・レ・ミだけでメロディが出来ている曲が売れるはずがないし、本当に魅力的なメロディなんて誰にも分からないのだから。