今夜は僕らがまた新しい幸せを探し出す 一番最初の日

滋賀県立膳所高等学校を卒業してきました。

書きたいことは山ほどある。特に本来の文集(小中学校でやったような)がないから、その代わりという側面を含めて。だから書けるだけ、モチベーションが続くだけは書いていきます。卒業式レポートうんぬんはまた後回しにして(記事を分割するかも?)、とりあえず過去を振り返ることから始めましょうか。

自分の合格体験記を読んだことのある方ならご存知でしょうが、中学3年生の夏頃までは、膳所高校に行けるとは思っていませんでした。しかし、周りの仲間に引きずられるように志望は上がり、仲間たちと毎日学問に興じていました。
中3の学志舎での最後の1年間、誰よりも勉強したといえるその自信は、試験前日からの高熱にもかかわらず膳所高校に合格したという結果で示すことができます。2007年3月14日早朝、合格者の受験番号が掲示されていた寒い朝のことは忘れません。

入学してからはカルチャーショックの連続でした。勉強はゴリ押しだし内容はなかなか難しい。数学はすぐにつまづき、復帰に1年を要しています。
しかし、友人だけはみるみる増えていく。俺は特別自分が友人が多いとは思ってないけれど(高校の卒業アルバムを見て唖然とした)、確か夏の湖風祭のあたりまでで、今の人脈の根元になる部分――芋づる式に増えてゆく友人のきっかけになる人物は、すでに出来ていました。自分よりレベルの高い人間がゴロゴロいるし、共通の友人でつながってゆく。ちょうどmixiのように。それ自体が楽しかったというのもありますが、新しく知り合った友人の持つ意外性に驚いたりするような生き方にも、楽しみを感じていました。


部活は入学前からギターと決めていました。小学校の頃の先生がアマチュアのミュージシャンで地元ではけっこう有名な人で、昔から憧れていたというのと、中3の最後に、先に私立高校受験を終えた仲間が演奏を見せてくれて、カッコいいと思ったのがきっかけです。その曲は当時発売されて間もなかったBUMP OF CHICKENの『涙のふるさと』のカップリング『真っ赤な空を見ただろうか』だったのですが、俺はいくら技術や慣れで当時の彼らに勝とうとも、あれ以上人を感動させることはまだできません。だからずっと追い付けない幻影をつかもうとしています。
ギター班はリアル『けいおん!』でした。昼飯に3時間かけて、琵琶湖対岸のイオンモールまで歩いていくような部活だった。先輩が1人だけいらっしゃったけれどもすぐ引退、ジャンケンに負けて1年生の夏から丸2年間、部長をやりました。2年生の時に後輩がたくさん来てくれたことは嬉しかったです。新入生の部活オリエンテーションでトラブルがあり、ビクビクしながら舞台に立っていたのですから。
彼らがまたよく出来た子で、何においてもこちらはこれといって束縛するようなことはしなかったんですよ。反体育会系を目指していましたし、人間関係や先輩後輩の軋轢でストレスを生み出したくなかったですからね。組織の統制とかいうほど統制の必要な部活でもなかったですしね。なのに、友人としての親しさの中に礼儀を見せてくれた彼らには、俺は本当に頭が上がりません。後輩に恵まれたおかげで、ギター班はこんなグダグダでも楽しんでやることができたのですから。各学年5〜6人ずつだけど、俺は自分の気が回る限り後輩を大事にしたつもりです。


2年生になると、クラスへのこだわりを失ってしまいました。しかし、他の組によく遊びにいくようになったことと、図書委員会に本格的に参加するようになったことが大きな変化でした。図書室の“癌(cancers)”と自嘲的に呼んでいた集団でしたが、とにかく当番の日でもないのに仕事をやりまくる。この仕事がね、また楽しいんですよ。システマティックな作業ではあるんだけれど、必ずしもベルトコンベア的な流れ作業じゃなかったし、流れ作業ならその効率アップがゲーム感覚で楽しかった。2年の秋からの1年間は図書委員の広報にも携わっていたので、ブックレビューやコラムの執筆も手がけています。ひとりでやれば早くレイアウトできるけれど、ひとりで文章を書ききるほど本は読んでいない。だからミーティングをして、協調性と迅速さを要求されながら仕事をするんですが、おかげで少しは人間的レベルアップができました。
図書委員は人数がやたら多く、これまた芋づる式で拉致されてきた奴までいるもんだからもう大変。プライベートの友人も図書委員会の仲間もあったもんじゃない。そこにクラスでの立ち位置との温度差を感じていたこともまた事実です。でも楽しかったですね。俺の心の拠り所のひとつはこの図書委員会です。
読書そのものも加速しており、図書室で借りた本と度重なる各地のブックオフ襲来で買い集めた書籍は合わせて400冊はあるでしょう。どんどんついてゆく教養が、この膨大なテキストを支えています。


3年1組は不思議なクラスで、多くのメンバーが旧2年1組からきているにもかかわらず、雰囲気は大きく違っていました。男子のメンバーが変わり、クラス和を乱して先生に迷惑をかけまくる輩がほとんどいなくなったことが理由だと思うんですが、俺の感覚で見ると事務的なことがわりとスイスイ進むクラスでしたね。
水面下での対立や憎悪の関係については、俺は一貫して我関せずのスタンスでした。そういうのに面倒くささしか感じないので自らリタイアを宣言していたようなものです。陰で何言われてるか分からへんというなら、その対象からある程度外れることで精神的普段は限りなくゼロに出来ます。元々他人は自分の思う通りに動いてくれるわけがないという前提のもとに生きていますから。


と、暗い話はここまでにしましょう。思想的な話。
俺が今になって膳所高に対して思うのは、膳所高は個性を受け入れてくれる学校であるということ。他人より勉強ができるというアドバンテージを失って初めて見えてきた自分の性格や欠点やみんなとの関係性は、俺が膳所高で新しく身についた視点の一つでした。(別に中学でイジメに遭ったとかではなく普通に友達はいるけど)俺にもちゃんと居場所があり、ユニークな人間と悪人との区別がしっかりなされている。それは、平凡を良くないものとする(ああ、仏教思想から外れていく)俺にとってはすごく幸せなことでした。


友人の付き合い方というのが俺はかなり独特なのかもしれませんが、たくさんある趣味のひとつひとつに、それに対応する友人が1人または数人います。音楽の専門的な話をするならこの人、クルマやモータースポーツの話ならこの人、みたいにね。だから趣味や教養はいくらあっても持て余すということはなかった。話す相手によってまったく趣味の内容は変わりますね。


逆に難しいと感じたのは、他人の感情をトレースすること。俺なら気にも留めないだろうと思うことで怒られたりもしましたね。みんなカリカリしすぎだと思っていたことは認めます。言ってもないことを何でもかんでも察してくれるなんて最初から思わないことですね。そんなこと言い出したら俺だってブルーな気持ちの日はありましたし。でも一晩寝たら何とかなるんです。いつまでも他人様の手を煩わせてまで悩まなくてはならない個人的な理由なんてほとんどない。
もちろん単純に自分が至らなかったと分かった時もあるし、やっぱり納得がいかなかったこともある。そのうち俺は膳所の仲間をあまり頼らなくなりました。たいていの自分の苦悩は自己解決できるようになりましたし、自分しか信頼出来ないような悩みなんか誰にでもあるでしょう?


同様に、あまり怒らなくなりました。須[すべから]く、とまでは言いませんが、総じて他人というのは自分とはまったく違い、不器用な自分のやることはうまくいかないこともあるというのが、この歳になってやっと分かってきた。むしろ本来ならマイナスと思える状況を客観的に楽しむことで(書きながら、二重人格のきっかけじゃないのかと思った)、俺なりの人付き合いを学んだ気はします。
流行ったのは何十年も前ですが、マーフィーの法則などは皮肉なようで事実を的確に表していると思います。トーストがバターを塗った面を下にしてカーペットの上に落ちる確率はカーペットの値段に比例する、というやつですね。だから石橋を叩いて渡るような有様になったこともあったけど、テストで悪い点を取るのが怖いから、定期試験前だけは勉強してました。でもある程度高い点数まで煮詰めると、頭打ちして伸びてこないので、いつもテストや通知票は膠着状態でしたね。
でも、自分の力だけが結果を左右するようなことは、要領良くいかないことはあっても、“出来なかった”ということはほとんどありませんでしたね。だから俺はやっぱり、他人を赦し、自分より優秀な部分もあれば苦手なこともあると知ることが、学んだことなんでしょうね。


ああ、言い忘れてた。足を病んでいることさえ膳所高では忘れそうになりました。体育も先生が声をかけてくれたし、自分で説明したら(さすがに技術点が低いのは仕方ないけれど)やる気がなくて結果が悪いわけではないということは分かってくださいました。まあ、見りゃわかるといえばそうなんですけどね。だからレポートとかをちゃんと書けばそれなりに評価をもらいましたね。
友達の間で気に病む必要がなくなったのが一番嬉しかった。ずっと前のことですが、母親曰わく「これくらいの歳になったら、いろんな人がいるというのも分かってくる」らしい。それだけみんな大人だということですね。幼い頃からマイノリティであったり、マイノリティである人に触れ合っていなくとも、それなりに人生経験を積めば分かってくるんです。


さて、ここらでこの文章も締めに入りましょう。何せ膳所高は楽しかった。various friendsに囲まれて、人間的に成長した。妹にも是非膳所高に来てくれと全力で勧めているくらいです。
頑張って手に入れた膳所高生の身分も、3年経てば失効してしまう。でもそれは単に握って離すだけの無駄な往復ではないのです。そうすることも可能だったけれど。膳所高生の間にいろいろな思い出や力を得たという、プロセスと副産物に何よりも大きな価値がある。だとすれば、俺が遠い過去の季節に、或いはこの数年間に頑張ってきたことは、すべて今やそれから先のためにあるのだという説教じみた話が、急にリアリティを伴って俺たちの前に現れるのではないか。そんな感覚を覚えてならないのです。


次回は俺から見た卒業式と最後の膳所高校、そして未来についてお話ししようと思います。完全にこの記事と対立する関係ですね。
というか、ここ最近は同じことを表現をすり替えて書き連ねているように思うんですけどね。それはこの1ヶ月半ほど、俺が回顧に追われていたことが最大の原因です。持論がそうそう変わるわけでもないのにこれだけ思想を書くということ自体、ひょっとしたら限界に来ているのかもしれません。


重要なのかどうなのか自分では判断出来ないけど、おまけ。
やましに誘われてmixi始めました。とは言ってもこれだけのクォリティ、クォンティティの連載を2つ持つことは俺のWindows95並みの古びた脳味噌では不可能なので、日記をこのTake Fiveのオート転写に設定しています(多少タイムラグがあるらしい)。本当に見づらくて申し訳ないです(テンプレートのメニュー類まで全部転写されてるよね)。RSSで登録し直そうかな。マイPCを持つようになったら手動のコピー&ペーストにするので少しはマシになると思いますが。
今月から紹介がなくてもmixiに入れるようになりましたが、あまり関係はありません。やましに誘われた数日後にクラスの方からも少し話があったのでちょこちょこマイミク登録は始めています。
mixiキーワードは「なめちゃん」。プロフィールとかで変人のオーラを出しまくっていたら当たりです。卒業した学校もすでに登録してあるので、よろしければまたメッセージを下さい。マイミクに追加させていただきます。


しかし自由参入になったmixi、業者対策とか大丈夫なのか。一抹の不安はありますが、こんな内輪のコミュニティにも侵入してくるのかな。