Enjoy in the center of the Hell!――大阪大学受験にむけて

大受験前のメッセージなんぞを。
長くなりそうだから記事を独立させました。

(BGM:We Are All Alone/Makoto Ozone)

タイトルは“地獄のど真ん中で楽しめ!”。えらくシュールですが個人的には的を射ているはず。『No attack, No chance!』や『Go for it!』といったカッコいいタイトルも用意していたんですが、やっぱりこれくらいボケが入ってて情けない方が俺らしいかな、と思ってこんなタイトルにしました。“カッコいいはカッコ悪い、カッコつけるはカッコ悪い、カッコ悪いはカッコいい”ですよね。江頭2:50の言葉です。彼のポリシーは意外と筋が通っていると思います。


今まで3年間、膳所高で“学問”をやって来たのは受験のためです。もっとさかのぼって言えば、膳所高に入らなければ大阪大学を受けようなんて思わなかったはずですから(周囲のレベルが自分と同じかそれ以上でないと頑張れないタチの悪さよ!)、膳所高に入れたのは学志舎のおかげでもあるわけです。俺の人生が不可逆であり、かつ断絶していないからこそ、全てのアクションが今になって意味を持ってくる。今までの軌跡を振り返ってみたら、その全てが時間の流れに沿って因果関係でつながっている。無関係なことなんかひとつもない。


でも、俺が今になって思うのは、たとえ阪大に受からなかったとしても、今までやってきたことは決して無駄ではないということです。確かに、学志舎で学んだことをフルに活用しなくても県立高校の試験程度は蹴散らせたでしょうし膳所高校にも入れたかもしれません。でも、それだけじゃダメ。学志舎で無駄/過剰品質とも思える勉強をして、高校に入ってからもものすごい冊数の本を読んで。そうして自分が身に付けてきたものは、何も学歴欲しさだけにやってきたわけじゃない。自分の知的好奇心のままに、教養をつけたかったからこれだけやってきたとも言える。だから、阪大であれ同志社であれ、新天地では自分が今まで学んできたことを活かして、新しい仲間を見つけてゆくことに変わりはないんです。


もちろん、絶対に手は抜きません。コンディションを整えて、自分の持てる実力を全て出し切って、全力でぶつかってくることだけはここで約束します。それが今の俺が出来る唯一の謝意表明の方法なのだと思いますしね。大学に入ってから成長することでも恩返しは出来ますが、それは2月25日に出来ることではありません。


力を出し尽くすと同時に、俺が常々言っているのは、“Enjoy”――楽しむ、ということです。先に白状しておきますが、シリアスな顔をして立ち向かうと緊張してビビってしまうから、ある程度カラ元気で言っている部分はあります。でも、どうせ問題は解かなきゃいけないし、いずれ受験の日はやってくる。前回(2本立ての片割れ)の記事『優しい忘却』で京進3SK英語についても言及しましたが、全ては不可避不可逆。『時をかける少女』を観ると逆にそう思いましたね。
“どうせなら楽しめ、遊びと思ってやればいい。”他人(特に使役する立場の者)が言うと胡散臭くて都合のいい言葉になることも分かっていますし、そんな言葉に疑問を抱いたこともありました。でも、自分で自分に言い聞かせているうちに気付いたんです。エピキュリアン的性質を持っている、俺みたいな人間は特に、こういう自己暗示やセルフチアリングがないとやっていけない。
だから、精一杯楽しんで遊んできます。3年前は一番難しかった立命館守山高校の受験が問題としては一番楽しかったし。あの楽しさがまた蘇ってくると思ったら、怖さや緊張感よりも先にワクワクドキドキしてきませんか?


勉学や“学問”における俺のモチベーションを支えてくれたのは、今も昔も変わらず、やましだと思っています。力の差がありすぎてライバルと呼ぶにはおこがましいですが……俺を牽引してくれたことは疑う余地がない。それを思うとラクで楽しい受験生活でした。自分独りの力だけでなく、彼に引っ張られているだけでここまで来られたのですから。甘えていたのかもしれませんが、俺は誰よりも人に恵まれていると思っています。誤解を恐れずに言うなら、自分が付き合って損していると思うようなヤツなんて俺の親友――俺がそう呼べる人間はごくわずかだ――の中にはいない。俺にとって有益な――俺にないものを持っていて、俺に力を与えてくれる仲間を、俺は持っている。俺を励まし、叱咤してくれる。そんな立派で素晴らしい友人が、俺にはいるのだと、自慢できます。


“受験は団体戦”。高校の学年主任の先生に言われました。今になってやっとその本当の意味が分かったと思います。そして、その意味を見いだせないながらも、安易な考えに流されることなく毎日学校に行って仲間の顔を見て、力強いメンバーでセンター試験や私立大学を受けた。それは結果的に正解でした。俺自身疑問を感じながらも、このTake Fiveで「学校に行ってナンボ」と言い続けてきて良かった。同じ高みを目指す俺の仲間はそこにいますから。学校という形が重要というより、仲間の存在が必要だったんです。バカ騒ぎしたりくだらない話をしたり、競い合うこともあれば情報交換して共同戦線を張ったりもするような仲間がね。
(年齢的に)俺の後に続く方々にも、俺は知って欲しいんです。仲間の素晴らしさ。くだらない馴れ合いのトモダチなんかではない、互いに刺激し合って高め合える本当の仲間の、かけがえのなさ。俺が言い続けてきた、“友人の質”というものです。


 まずは目標を持つことから始めてください。必ずしもそれが何らかの職業に就くということでなければならないということはありません。他の人から見れば些細なこと、だって構わないのです。とにかく自分自身が納得できる目標であるということが大事なのですから。
 そして、質の高い友達を作ってください。友達にも質の良し悪しというものがあります。それは学校の成績とは必ずしも一致しません。お互いを高め合っていける友人との付き合いは一生続きます。私は幸福にして素晴らしい友人に恵まれました。だからこそ今の私がここにあります。
 自分が友人に恵まれていないと思うのなら話は簡単です。自分自身がしっかり者になればいいのです。そうすれば他の友達もきっとみなさんについて来ると思います。お互いに努力すれば、それは質の高い友情を手に入れるというのと同じなのです。
 ですから、友人に求められる人になってください。尊敬されるようになってください。同じ学校の生徒からも、他の高校の生徒からも。弟や妹や、近所の子供たちから尊敬され、感謝される人になってください。感謝されるために頑張ってください。
 それは別にやましいことではないのです。求めるものが何であれ、その目的を達成するための努力そのものを非難することは誰にもできません。

 今の人生に満足できていなくても、まだまだあきらめるのは早すぎます。これからの人生は自分次第でいくらでも変わります。変えられます。だから、人生の結論を出す時などというのは、老いて死期が迫った時であってもまだ早すぎるくらいなのです。


上の文章とはまた違いますが、今読み返してみたら、3年前に書いて学志舎から全生徒の家庭に配られた(俺が初めて依頼されて書いた文章でもある)“合格体験記”と、根本的な思想が変わっていないように思います。友人とEnjoy。結局、俺はどれだけ教養を手に入れてどれだけ勉強したとしても、何一つ変わらなかったんです。変わらなくて良かったとも思います。ひょっとしたら、自覚はないけれど、それは俺の長所なのかもしれません。


膳所高校に入ったのも教養をつけてきたのも、経済学部を選んだのも実は楽しそうだったからでしょう。ラクだとは限りませんが、選択教科ひとつとっても、俺自身が楽しい、やりがいがあると思えるかどうかがかなり大きな比重を占めています。むしろそれだけです。


まあ、気負い過ぎてもいけませんね。やっぱり楽しんでこいとしか言いようがないやーね。それが真理でありポリシーなんだから。その理由や背景はこれだけ説明したし、あとは心の持ちよう。
ストレスで過労死した人はいても、楽しすぎて死んだ人がいないのが何よりもの証拠です、多分。ということで俺なりのアドバイス


学ランは受験の服装としてはオススメです。温度調節がしやすい。たいてい受験場は暑いですからね。カッターシャツだけっていうのが一番良さそう。それでも暑い奴はタンクトップの上にノースリーブのパーカーでも着て周囲にプレッシャーかけたらいいんじゃないですかね。
ブレザーでも基本は同じです。温度調節が肝心。アタマは冷たく足元は温かいのは基本中の基本、それを忠実に実行すればいい。
セーラー服は着たことがありません。出来れば一度着てみたいと思って……ないけどね。アア、アブナイアブナイ、ホンショウガバレルトコロダッタ(棒読み)。でも足元が冷えそうだしトップスの(←本来なんて呼ぶんだ)丈も短いし、いくら野郎どもよりは慣れているといっても、手放しでオススメはできないんですよね。
そして水分補給。500mlの水筒が(別にペットボトルでもいいけど)1本あればモウマンタイ。頭を冷やす作用もありますし、水分が充分にないとこれまたアタマは働きません。
縁起物はありすぎて困ります。やまし謹呈の、香川県の『合格せんべい』を筆頭に、京都・文子天満宮の鉛筆、代々木ゼミナールの阪大プレでもらったおふだなどなど、山ほどある縁起物。“うかーる”や“きっと勝っと”、“勝つ丼”なんかより遥かに効きますね。非科学的なのに効くも何もなかろうが、深く聞くのは野暮ってもんさ!ポジティブにならなきゃ。
iPodで聴く音楽もアップテンポな曲がいい。マイナーキー禁止!『世界に一つだけの花』厳禁!かと言って力強い軍歌はいけません。


とまあ、ここまで書き連ねてきて。俺が言いたいことはとりあえずここまで。あとは思い思いに楽しんでやればいい。受験の日じゃなくて、自分が最高に輝ける日だと京進の先生に言われました。確かにそうだと思います。狂信的京進信者ではなかったけれど、それでもこれには諸手を挙げて同意しましょう。自分が積み上げてきたありったけの力を全部吐き出せばいいんですよね。そんなの、楽しんでる時なら知らず知らずのうちにやってるじゃないですか。


俺はドイツのニュルブルクリンクという山道みたいなサーキットが好きで、目を閉じればまぶたの裏に1周20km超、標高差300m、172ものコーナーを正確に思い浮かべるんですが……グランツーリスモをやっている人なら分かります。或るラップではなぜかやたら調子が良くて、無理をしなくてもコーナーをスイスイ抜けられる。無茶なコーナリングがないからタイヤの負担も意外と軽い。そんな時に限って、普段絶対出なかったようなタイムであっさりと記録を更新してファステストラップを叩き出してしまう。その時に1つ殻を破って速くなる。
受験だってそんなもんで、一番記録がいい時は一番楽しい時だと思います。だから、どうせなら思い出と武勇伝が残るくらい、誰にも気兼ねなく遊び倒して暴れ回ってきてもいいんじゃないかな。
別に、周りがみんな自分より賢いなんて、よくある勘違いはそうそうリアルにはないんですよ。全員ではないにしても、周囲が軒並み自分よりアホだった、なんてよくある話。別にエリート意識から言ってるんじゃありませんよ。


みんな、それぞれのファステストラップを出してきてください。俺もファステストラップ、出してきます。
ここ一番で誰よりも強いのは俺だ。そう思っていいんです。俺は特別。ああそうさ、俺は特別だ。手を抜いちゃダメだけれど、やるべきことをやるまでだ。しかも楽しんで。


自分のベストをこんな風に尽くせるなんて、なかなかカッコいいと思いませんか?こんなモノローグは他人に聞かれたらカッコ悪いだろうけれど、ね。


Why don't you do your best?