I know I've been foolin' myself too long, I'm never right but alyays wrong, Goodbye, Baby, so long.

今月最後の更新です。さらばノヴェンバー!

先に言っときますが今回長いです。クルマの話ナシでこんな長いのは珍しいですけど、今回モブログの限界=携帯のメールの限界ギリギリまで使っているので、原稿用紙13枚分くらいあります。エログロはありませんが読んでいる途中に体調を崩された方は遠慮なくお申し付けください。当方は一切の責任を負いません。


今日のタイトルはアメリカのバンド『The Blasters』の1981年の同名のアルバムの曲『So Long Baby Goodbye』から。100文字ギリギリ入りきったのでタイトルも携帯電話の限界です。
ロカビリーやブルースやロックなどを融合させた“アメリカンミュージック”というジャンルを名乗っているバンドで、今年で結成30周年を迎えました。今でも活動しているみたいですね。この『So Long Baby Goodbye』もYoutubeでいくつも引っかかります。
これはハーモニカとギターがいい味を出している、短いながらもノリのいい、聴いているだけで楽しくなる曲のようなんですが歌詞は正反対!この記事のタイトル通り「分かってるよ 俺はずっとアホだったってこと 俺が正しい時なんてなくて、いっつも間違ってるってこと だからさよならだ」なんて歌い出しから始まってそこからずっと憂いを帯びた詞が続きます。英語なのでググって自分で訳してみることをオススメしますね。洋楽の翻訳は日本語の力がつきますよ。高3ならそれくらい出来なきゃいけません。俺がこの歌を知った中学2年の頃はまだロクに翻訳も出来なかったんだよな……。

ここ数回の記事の英文は、松任谷由実の『ベルベット・イースター』や『Forgiveness』のサビの翻訳だったんですが、今回はほんまもんの洋楽を使ってみました。こうして見ると自分の英語に違和感があるみたいでイヤやわあ。

マスオさんが久々に指摘コメントをくれたので、思い出したように槇原敬之のデビューアルバム『君が笑うとき 君の胸が痛まないように』を聴いています。当時わりと長いタイトルが流行ってたんですよね。
普段『12月の魔法』ってあんまり聴いてないや。多分全然歌えない。
このアルバム、来年の10月で20周年を迎えるけど、さすがに今聴いたら古いなぁ……『SMILING 3』ってベストアルバムでリメイクされた曲もあるけど、根本的にメロディに古さを感じる。あと歌詞に対する思想がやっぱり今と違うな。
まあ、アマチュアの頃に作ってた楽曲だから80年代のポップスと思って聴けば気にならない部分もある。もっとも、当時既に絶大な地位を確立していた松任谷由実なんかと比較するとどうしても見劣りしますけどね。仕方ない。アレンジを自分でやってないもの。
『NG』『ANSWER』だけはベストアルバム『10.Y.O.』のバージョンに差し替えました。こっちの方が声の出がやっぱりいいんです。リリースが少なかった1995年を境に声がすごく良くなった。幻冬舎槇原敬之の本。』によれば、1994年頃にツアーとレコーディング続きで喉を壊してポリープ切除のオペをやったとか。その辺から急に声が大人っぽくなったように思っているので、普通はレコード会社の違いから『UNDERWEAR』と『Such a Lovely Place』の間で分けますが、俺は『PHARMACY』と『THE DIGITAL COWBOY』の間で分けることが多いです。


『ムゲンノカナタヘ〜To infinity and beyond〜』も聴いてきました。
こんなギターのよく効いたマッキーは珍しい。このギターは誰?また山弦の佐橋さん?最近オグちゃん参加してくれないからなぁ……。
歌詞はやっぱり季節感はないです。っていう序盤は犬……好っきゃなぁ(好きだなぁ)。犬犬犬犬おっさん犬犬犬犬ですよ。カネはありそうだが犬の養育費がえらいことになってそう。まあおっさんおっさん犬おっさんおっさんよりはマシかっていうか何そのシチュエーション!?
中盤は“〜なら”“〜けど”“〜とも言える”って、あんまりシングルらしくないやや理屈っぽい感じ……Take Fiveみたいなね。結果だけじゃなく思考プロセスまで全部を文章化してるからこんなことになってるんだと思う。そういうとこがTake Fiveっぽい。
曲調の定義がしづらくてですね……ロックというかトランスのようでもあるし。電子音楽の素養のない俺には判断しづらい。っていうか音楽のジャンル分けが苦手なもんでね。


甘い物に目がない俺が何よりも一番好きなお菓子が芋けんぴであることは、野原しんのすけの大好物が謎のスナック菓子『チョコビ』であることくらい周知の事実でございますが、それでも俺はたまに海外のスナックにハマります。確かに日本のスナックは味付けの研究が進んでおり、品質管理が非常にキメ細やかでどの製品を買ってもある程度クォリティーが安定していて外れがない(近年の携帯電話も同様である)んですが、普段はマズいと思いがちな海外のスナックの中に時たま伏兵が潜んでいることがあるのです。
甘い製品ならドイツのキャンディ、Werther's Originalが唯一無二かつ最強です。シンプルな素材と製法ではありますが甘さと塩味は何物にも代え難い!CMに出ていた「今では私がおじいさん」の爺さんが亡くなったので最近はテレビでは見かけなくなり気がつけば買う回数も減っていましたが、時折食べたくなることが今でもよくあります。
塩味ならアメリカのシュナイダーズのプレッツェルのチェダーチーズ味が好きです。でっかいプレッツェルを砕いたのが箱に入って売ってるんですが、これがなかなか塩味とチーズ味が効いておりまして……こちらはシンプルかつ綿密な味わいが売りの前者とは逆に、プリミティブかつアバウトな味付けとガリガリプレッツェルをかじる楽しさに惹かれます。本当に小麦粉と塩とチーズと多少の油の味だけで出来てるんで、俺の好みのど真ん中でしたね。
しかしながら海外のグミは総じて粉っぽくてマズいと思う。どうしてこんなマズいのか聞いて回りたいくらいね。日本のグミの出来が良さすぎるだけなんですが。
でも昔親戚に5フィートガムというのをもらったことが忘れられません。1フィート30cmくらいですから、当時は何日も何日もかけて自分の背丈よりも高いガムを食べ進めていくのが楽しかったですね。またやりたいとは思わないけど。


1週末1作ずつで3週間かけて劇場版Zガンダムを見終えました。それに伴ってPS2版の機動戦士Zガンダム エゥーゴvs.ティターンズが欲しくなってきた。もちろん今やってる時間はないんですけど中古相場で1,000円切ってますからね。もうモビルスーツがカッコいいことこの上ないよ。カネと時間さえあれば久々にプラモデルでも作りたいところなので、ある程度時間が過ぎたらまたガンダムにハマり始めるかもしれません。


真剣に見てる余力はないんですけど、ライアーゲームのドラマ版って何となくピンと来ません原作コミックでは「さよなら絶望先生」のメインヒロイン(←俺にとってだけやろ!)の加賀愛を彷彿とさせるような謙虚で心優しい子だった主人公の神崎ナオは、テレビで戸田エリカ(ごめん、字が分からん)が演じているのを眺めてると、何か頭のネジが抜けてる子みたい……。逆にキャラが全く違うのに両メディアで絶大かつ変態的な存在感を発揮している福永さんなんか大好きです。
あのドラマはトリックのリアリティに欠けるので「はいはいドラマ乙ww」とか思いながら見てますが、モノのデザインやモニターのフォント表示なんかに独特の世界観が見えます。ちょうど、ロボットのデザインは気持ち悪いのにNERVのロゴやフォントがカッコいいと思ったエヴァに近い魅力があります。それだけ本質的な部分には惹かれなかったということでもあるけど……エヴァは惹かれなかったというより、その思想や世界観に対して賛成の部分と対立している部分が混在かつ並立しているから鵜呑み丸呑みで受け入れることが出来ないってだけなんですけどね。

腕時計ってやっぱり必要だと思います。携帯電話だけで時間を確認する人に対して不便じゃないのかと思うことが多々あります。
俺は遅刻するのもされるのも嫌いで、電車の遅延などの不可抗力ならまだしも自分の怠慢で10分以上待たされると機嫌を損ねます。他の高校生と比べると相対的には時間に厳しい方なんですよ。もっとも俺の周りにいる人間は、迎えに行くまで寝てる奴とか、30分以上遅刻してくる奴とか、漫画を貸しても数ヶ月返さなかったりする奴が多いので、そこから逆算した場合、ですけど。俺自身が俺の感覚の中で完璧かという話になると、それがどうも今ひとつうまくいってないんですなコレが。
閑話休題、いちいち携帯電話出して時間見るのって面倒くさくありませんか?空港とかで携帯預けてたら時間分からないし、コンサートや映画館でも携帯出せないし。学校のテストだって、時計がない時もあるし、あっても秒単位まで見えない。俺はわりと時計依存症な部分があるみたいです。常に時計がないと落ち着かない。
うちは昔から時計がたくさんありまして、多分今の家でも全室に時計が少なくとも1つ、っていうか大抵2つくらいあるので、どっちを向いても時計があるんですよ。もちろん草津に戻ってくる前から。
腕時計も幼い頃からずっと着けてるし体育や部活でも原則的には外さない。外してたのは中学の水泳の授業と、高校のバスケットボールやバレーボールの授業だけかな?ピアノやギターなんて関係ないし。
学生の間は学校の時計に合わせる必要があるので敢えて電波時計は使っていません。おかげで自分の携帯電話や目覚まし時計(電波)とは秒針が15秒くらいズレてるんですが。
先代の腕時計は3,000円くらいの安物のデジタルで、ストップウォッチとかが付いてたんですがボタンの接触が悪いのかかなり押し込まないと動作せず、しかもバックライトがないというデジタルとしては信じられないような時計でした。中学3年生の最後の頃にベルト(ビニール製で交換不可!)の付け根が割れてお釈迦様になっちゃった(無駄にかわいい効果音よろしく)。悟りにチャレンジです(意味不明)。
現行のは確か父親に譲ってもらった奴だったと思う。SEIKO社の学生向けブランド『ALBA』(現在も存在)のSucces Vintageという奴ですが型番や年式などの詳細は不明。商品に型番が明記されてないってのは工業製品としてどうなの、と思うこと限りもありません。
俺の時計は高級品ではありませんがメーカーはマトモでモノはきちんとしていますからそうそうズレません。若い皆さんも時計を買う時は、良いメーカーの安い時計が一番だと思いますよ。訳分からんメーカーの安物の時計は最悪です。
まあ、何十万もする高級時計に興味はないんですけどね。そこら辺の価値が今ひとつ分かりません。メカニズムにオリジナリティのある奴はともかく(詳しくは省きますが、無駄にこだわって凝った時計ってのは世の中にごまんといるのでございます)殆どは自己満足と見栄じゃないですか。宝石なんてゴロゴロ付けちゃってさ。こういう日常的によく使ったり身体に身に付けたりする“道具”に質実剛健を求める俺にとっては、派手な時計やモノが入らない鞄や歩きにくい靴といった実用性を兼ね備えていない、虚構と偶像のカタマリのような品々に魅力を感じないのです(靴には別の理由もありますが)。実用性がある上での美の追求に関しては良いと思うんですがね。だから寒いのにオシャレとか言って薄着する女はキライですなんて言ってみよう。本当の話ですよ。
やるなら年中半袖みたいに徹底してやれ!クリスマスに仲間を集めて氷点下の水を頭から被るくらいの覚悟を……決める必要はないんですが。
やっぱり俺は近代合理主義に毒されているのかもしれない。もっとも、風流と無駄は根本的に違うと思うのが俺の考え方なんですけど。風流とは削ぎ落とさないことで調和が保たれることであり、無駄とは削ぎ落とすことで調和が保たれることなんです。
でもこういう“無駄”が良いと思うようになったらなったで上を見始めるようになるから辛いだろうな……。