Crescendo

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やっぱり休みがないとしんどいです。ただいま金曜日、明日も明後日も模擬試験なのでこの週末に備えて体力を回復させるべくリラックスしています。

実を言うと、毎日学校っていうのがちょっと楽しくなってきたんです。どんなニュアンスで受け取ってもらっても構わないけれどね。
純粋に仲の良いオモロい連中に会えるってのは俺にとっては学校に行くモチベーションですし、朝8時に学校に居るとは言え元来朝は弱いからやっぱり早起きはめんどくさいんですが、うーん、今年いっぱいで通常授業が終わるとか、3月頭には卒業式があるから残りの高校生活もせいぜい4ヶ月だとか、そういう色々と感慨深い要素が俺の中で全部合わさってるっていうのが一番正確やと思う。勉強も大変やけど、まあ周りのペースに乗せてもらえてるしね。

あと、「走るぜぇ、超走るぜぇ」とばかりにで愛車――トヨタ党なので無駄にトヨタのステッカーを貼ってある――を毎朝原チャリとタメを張れるペースで旧草津川の堤防をぶっ飛ばしたり、何かフル回転して疲れ切った時に急にテンションが上がってきたり、こう、疲れた時に意味もなく笑えてくるような、いささか不審者じみた意味でもまた楽しくなってきています。うへへへ。


中村光聖☆おにいさん』4巻と、茅原実里ファースト写真集『Crescendo』を買ってきました。もう最近はコレのために生きてましたね。今週入ってからというもの、1日1日が早く過ぎないかと願ったのはもの凄く久しぶりです。
前者は1〜3巻を高校の友人に貸出中ですが、荒川アンダーザブリッジを映像化するなら個人的にはこっちが見てみたい。ただネタ的に宗教(仏教と基督教だけね)ネタとかが絡んでくるので、仮にテレビ的にOKだったとしても予備知識で仏陀とイエスの伝記くらい読んどかないと分からないでしょうね。俺も4巻まできて所々分からないネタが入ってきました。
逆に作者はよく研究したなぁと思います。様々な伝説的エピソードに対する独自性有り余るような咀嚼とシュール過ぎる解釈、そしてネタが切れない造詣の深さ。「このマンガがすごい!」ランキングに釣られて立ち読みした過去の自分グッジョブ!


後者はみのりん――茅原実里の初めての(そして下手すりゃ最初で最後だと思う)写真集です。約100ページで2,000円という値段が高いのか安いのか俺には正直分かりませんが、2ちゃんねる茅原実里スレで読んだところによると結構お買い得だそうな。もちろん全面カラーやし、素人目に見ても高くはないと思います。
以前も言いましたが普段写真集なんて買わないんですが、これは個人的には買って良かったと思います。何だろう、この間隔はアロマテラピーに近い?別にエロいのを売りにしてるわけじゃないし――俺はそういうの苦手っていうか嫌いなんですよね――、写真とその雰囲気に癒やされた、っていうのが一番近い。だから、いいじゃない美人を見て癒されるくらい!とガラにもないことを言ってみます。

やっぱりアレやな。俺は芸能人は実のある人(名前にじゃないぞ)が好きなんですよね。例えば歌手でもシンガーソングライター、つまりクリエーター、サウンドエンジニアとして創り出す音楽が魅力的だとか(槇原敬之松任谷由実タイプ)、歌声がこれ以上ないくらい俺の肌に合ったりだとか(槇原敬之茅原実里、ジェロタイプ)、音楽から離れるなら誰にも真似出来ないような文章を書ける人(中島敦芥川龍之介夏目漱石タイプ)などなど。才能も努力もあるんだろうけど、やっぱり人より優れた点があるからこそプロフェッショナルだっていう部分が俺を惹き付けてやまないのです。或いはプロフェッショナルとはある意味ではみんな芸術家なのかもしれません。
だからこそかな、俺にとっては“プロフェッショナル”が感じられないような、例えばアイドルとかがどうしても苦手なんです。苦手っていう表現自体がオブラートに包んでる表現なんですが。
人より優れた技術や想像力なんかを買ってるわけじゃなく、容姿だけで売りに出そうとするから嫌いなのかな。それではプロが独自性のあるプロとして在り続けることは不可能だと思うんですよね。大衆が飽きたら次、飽きたら次、だから誤解を恐れずに言えば消耗品なわけじゃないですか。オリジナリティがあれば唯一無二の存在になれますから消耗もしませんし当然オルタナティブも居ません。本物のオンリーワンとはこういうことを言います。別にゆとり教育大義名分じゃあないよ。他の誰かに対する何らかのアドバンテージは自分の力で手に入れなければならないってこと。それは別に勉強の成績とかに限ったことじゃなく、モノサシの数は無限にある。
ちなみにそれをカネにして食い扶持[ぶち]にしていけるかは個人の努力次第。そこに一般大衆のニーズが絡んで来やがるのが腹立たしいけどね。
だからこそ、今や誰もが知っているフレーズになって、その意味を変遷させながら6年間歌い継がれてきたあの歌の一節の意味を、皆々様はよく考えて頂きたいのです。
長い人生の中で必ずしも社会の決めた特定の尺度の中でナンバーワンにならなくてもいい、どんなことであれ自分が自分の手で掴んだ称号は紛うことなきオンリーワンなのだから。

他と違い、他より優れているからこそ個性なのです。他より劣っているものを個性とはあまり言いません。
「不倫は文化だ」……じゃなかった、「障害は個性だ」も何か違う。何かが違う。俺の中でしっくり来ない。
周りの人が受け入れてあげなきゃいけないってことは間違っていませんが、やっぱり何らかの分野で他の人と同じように出来ないという、正直言えば本人にデメリットが降りかかってくるような事柄に対して、一部の人間が気楽に『個性』とか言っちゃってるから話がおかしくなっているのであって、どうしても生まれつきのウィークポイントを自分でどうしようもない時に受け入れなきゃいけないのは確かですが、それに苦悩しているというのにあたかもそれが長所であるかのように呑気に言われるのが嫌なのね。まったく同じこと2回言っちゃったけど、少なくとも俺は周りの人にそう言われたら「余計なお世話じゃボケ!」とか言っちまうかもしれません。


少し話は戻って容姿うんぬんの話。
誰とは言いませんが、あからさまに頭良さそうに見えないうえに普段の会話力にも問題アリなのに今の某ドラマで法学部の大学生役になってたりするから思わず吹いた。まったくもって法学部生に見えねーよ!

ああ、別にここまで長々と書き連ねてきたことを、「だから俺はみのりんが好きなんだ!」っていう結論に導くための説明にしてしまうつもりはありません。もちろんそういう論理の展開も可能なんですが、今は茅原実里をきっかけにして俺の個人的な一般論に話題を展開させたかっただけです。

あ、来週また狂信的京進の統一テストがありやがります。その直後に代ゼミin京都と膳所高実力考査……休みが欲しい。まあ今は一生の間でもかなり忙しいかもしれない時期とはいえ、自分は例年秋にスランプに陥りやすい(長い2学期を無事に乗り切れない)ので、今年は何も起きなければいいのだけれども……。