絡み酒

やっぱり日本語って難しいと最近思います。
いや英語も難しいですけどね。和訳だって京大のはもはやバイオレンスです。内容が堅すぎるだけやけどそのせいで語彙が厳しい。おかげさまで模範解答の日本語の意味さえ分かりませんよ。
阪大やら神大はもっと親しみやすい題材やねんけど京大は!!こればっかりは如何ともしがたい。まあその分だけ達成感も格別ですな。

で、日本語の話。外国人にとって日本語がいかに意味不明か、その現状を垣間見る機会はたくさんある。最近なら『日本人の知らない日本語』は面白かったね。
世界最高の放送局、イギリス国営放送BBCの自動車番組『Top Gear』がその現状を教えてくれた。Top Gearは面白い時とくだらない時があるけど、俺が一番最新で見たのは確か2007年放送の『GT-R vs.新幹線』でした。R35GT-Rで日本アルプスを越えるか、特急や新幹線を乗り継いで京都経由か、石川から千葉までのレースです。わざわざ接戦になるようにスケジュールは組まれてるからそこら辺は安心して楽しめた。でも日本語をまったく理解出来ないのはやらせでも何でもないからね。まあ……イギリスの義務教育に日本語教育がないのが一番の原因なんですが。
ただラテン語ギリシャ語やフランス語、今の世界共通語は英語で次はスペイン語とか言われるけど……とにかくどれも全部“表音文字”なことが世界共通語に必要なのではないかと思った。アルファベットもフェニキア人の頃から表音文字やし。意味を持っていたのは本当に最初期だけ。
中国語はほぼ完全なる表意文字やから世界共通語にはしにくいと思うんよ。文法的にはSVが成り立ってるから英語圏の人は本気出したら中国語は出来ると思うけど……文字の多さに根をあげると思う。
いや、まあ中国語でも固有名詞を当て字にすることはあるし、英語だって接頭語−語幹−接尾語の表意文字とみなすことも可能やけど、それは意味解釈上の問題であって文字の成り立ちではない。
日本語なんて最低ですよ。表意文字表音文字は入り乱れてるし、漢字の読み方が腐るほどある。熟語も多いし話者は1億2000万の日本人だけ。戦前や戦時中の日本人は大陸や台湾の人に日本語教育を施すのに苦労したかもしれない。10歳までの子供ならどんな言葉だって覚えられるけど、大人はそうもいかないしね。
欧州言語の強みは単純に文字の種類が少ないこと。だから“字が書けない”ということも日本語より起こりにくいと思う。もっとも、昔の労働者階級の人々は正しい綴りが分からない人も多かったらしいけど。
印刷術の発達も欧州の技術が日本より数歩先を行っていたことだけではなく、そこら辺の文字体系の活版印刷への向き不向きが強く影響していたんやないの?と思う。活字の種類がせいぜい60かそこらで済むんやからな。
日本版Wikipediaは海外の方には難しすぎるみたいで、仮名書き版を用意して欲しいという声もあるそう。まあどこの公用語でも地方言語でもないくせにラテン語版やらエスペラント語版やら挙げ句の果てにクリンゴン語版まで用意されてるので、仮名書き日本語版なんてのもあっさり出来るでしょ。エスペラント語版はまだ分かるけど……クリンゴン語なんてスタートレックのファンしか分からんぜよ。

いや、まあ極端な話、政治的経済的に世界の頂点に立った国がきっと自動的に世界共通語を設定する権利も手にするねんけどさ。天地がひっくり返らない限り、俺らの生きてる間は世界はまだまだ英語で回り続けると思う。
でも後進については責任持てないな。英語が世界共通語たるゆえんのひとつは話者人口ではなく採用国家の数なので、昔みたいに征服されない限り公用語はまあ変わらないと思う。



基本的に一晩泣けばたいていのことは忘れられると思う今日この頃。別に悲愴感を携えて生きなくても、一晩わんわん泣き通すかカラオケにこもって歌い倒すかしたらたいがいの辛いことは紛れます。
“悲しみなんて何の役にも立たないと思っていた”自分も確かにいるけれど、大体後になったら笑い話になってるか、或いは詳細を忘れてしまっていたり。俺は後者です。思い出したくない記憶を思い出さずにいて気がついたら思い出せへんようになってたと。そしたらそれはもう無いも同じなのです。
俺の尊敬するカウンセラー、故リチャード・カールソンの著書は俺が自分自身やその周囲の環境とうまく付き合っていくうえで大きな影響を与えてくれました。まだ壮年だったのに事故で急逝されて3年ほど経ちますが……彼の著書との出会いはまさに一期一会。人との出会いがそうであるように、書物との出会いもまた、ね。
人間何の拍子にどんな本にハマるか分からないもんです。ひょんなことから将来の親友や生涯の伴侶に出会うのと同じようにね。


今回の数多の覚醒剤騒動を見て、やっぱり10年前を思い出さずにはいられなかった。
1999年8月26日、槇原敬之覚醒剤取締法違反(所持)で逮捕。同年12月8日に東京地裁が下した判決は懲役1年6ヶ月、執行猶予3年(のち保釈金300万円で保釈)。「自分には音楽しかない。今後は法を守って音楽に邁進していく」という槇原に対して、東京地裁の久保豊裁判官のコメントは「家族らの信頼を裏切ったが、多くの人たちが更生を期待していることは、じゅうぶんわかっていると思う」
幻冬舎槇原敬之の本。』、幻冬舎新書『裁判官の爆笑お言葉集』より当方にて総括)
多分押尾学酒井法子も同じくらいの刑が課せられるでしょうな。MDMA所持の重みがどんなもんかは知らないけど、きっと覚醒剤とどっこいどっこいだろう。
芸能界に限らず薬物関係の犯罪なんてそう珍しいもんじゃない。多分表に出て来ないだけで、まだまだ薬やってる人はたくさんいるはず。誤解を恐れずに言えば、ひょんなことから表沙汰になって家宅捜索が入らない限り所持だけならバレないはずなんよ。だから隠れて持ってる人……自分が吸うだけでなく売買の仲介なんかも含めて、まだまだいると思う。

まあこないだの草なぎ剛(漢字出ないな)の罪よりは重いけどさ。草なぎの時は単に酒に酔って悪ノリしただけ。もちろん俺としては正気を失うほど呑むなんて問題やと思うし俺はそういうことする気はないけど、同情の余地はある。ただ薬物はね……情状酌量が執行猶予になって現れてくることはあるけど、基本的に実刑判決は避けられないと思う。

『太陽』から始まったこの10年間で、まあ間違いなく完全に社会復帰を果たしたと思う。7枚のアルバム、SMAPでミリオンを叩き出し、オーケストラとツアー、慎重派なNHKも満を持して久々の紅白復帰……世間的が再び手のひらを返したようにシンガーソングライターの地位を取り戻した。でもだからこそ本人は忘れていないと思う。そう願う。

もうあと2週間で、マッキーの逮捕から10年。