差別は永遠になくならない?

7月も8割方終わりました。20日くらいから「月末っ!」みたいな感じだったんやけど……現実はまだ11日も残ってたというわけでして。
この6月〜7月はものすごく長かった。湖風祭でクラスと部活の二重生活して、さらに京進3SK英語にも参戦して……まだ20回くらいしか授業受けてへんっていう現実がまだ受け入れられません。密度が濃すぎて胃もたれ気味なのが本当のところで、3日に1回は頻度的にギリギリやったんやけど、幸か不幸か夏期補講やから毎日になるわけで、改めて濃すぎる授業に胃もたれしています。まあポジティブに言えば充実しているということで、少なくとも建て前上はそっちで受け取っておいていただきたいと考えている所存でございます。

東野圭吾の『手紙』読み切りました。学校での評判も良くて、なんぼのもんじゃと思って東野作品を始めて読んだけど、なかなか興味深かった。面白い面白くないっていう物差しとはちょっと違うかな。
ストーリーの説明は省きます。ググって。ハードカバー版の初版が2003年まで遡ること、ミリオンを超える売り上げを記録していることなどを考慮して、ネタバレもこのまま書いてしまいますので悪しからず。


まず、文体が微妙に中身と合っていないように感じた。ひとつひとつのセンテンスが短くてテンポよく読めるから、結果的に3時間足らずで400ページを読み切れた。これは『とらドラ!』並みのハイペースやけど……少し描写が少なかったようにも思う。事件から6年もの歳月を描き続けてるから、ひとつひとつ描き出していたらページがいくらあっても足りひんかったやろけど、もう少し期間をコンパクトにまとめて密度を高めてもバチは当たらんやろとは思う。
ストーリーは高尚とは言わへんけど、茶番でもない。少なくとも今読んでる吉田秀一の『さよなら渓谷』よりはな。直貴がいろんなモノや機会や職業を手に入れては失っていくから正確な結末はなかなか分からなかった。でも、バンドはチャンスをちゃんと掴めるのか、とか、ああ財産家の娘とはうまくいかないだろうな、とか、何となく薄ぼんやりと先が見えてしまったのが気がかり。
逆に印象的やったのは様々な対比。
“正義”を貫くのをやめて、世間で生きてゆくために――劇中の言葉を借りれば“社会的な死”から這い上がるために――兄との過去を偽り兄と縁を絶たんとする直貴と、とある理由によって直貴に固執し続けてお節介なまでの正義感を貫き、直貴に期待をかける白石由美子との対比。考え方の違う2人が最後に出した結論によって共に苦悩や葛藤と戦ってきたけれど、最後まで向き合い方は厳密な意味で完全な一致をみなかった。それで良かったと思う。
明らかに悪役に転じた解体業のオッサンとか、結局は淡白な態度に転じる新星電機の同僚なんかは、必要なキャラクターだったかどうかは分からない。やっぱりそこら辺との対比で、由美子の献身的な気持ちが浮き立ってくるんやろうか。容姿もそういう役回りに合うように設定されているし、それは資産家の娘・中条朝美との対比でもある。
やや脳天気な(実際は刑務所生活でさほど書けることがない)剛志と、兄の過去が常に自身の足を引っ張ってきたせいで苦悩する直貴との温度差も、千葉刑務所の兄から送られてくる手紙に直貴が怒りをぶつけるという形で物質的に表現されている。
また、殺人ではないにせよ直貴を別の小事件の被害者に据えることで直貴自身にも被害者という立場を体験させ、その感情を描き出すことでそれまで描いてきた加害者(の家族)の立場とはまったく違う視点からの描写も試みていて、それも1冊の小説の中で、直貴に着目し続けるがゆえに描き出せない被害者・緒方一家の心情を描く代わりとして、また直貴が緒方一家の、剛志に対する感情に気付くきっかけにもなった。緒方一家の気持ちは長男によって断片的に語られる。まあ、あまり語らせるなという空気をビンビン発しながらではあったけれども。


兄との絶縁や被害者の気持ちなどに揺れる直貴が出した結論は正直疑問点が残る。この終わり方はあまりに鉄板すぎるし、余韻を残しているというわけでもない。以前、小論文講演会に対する反論を書いた時に、「書ききらない小説が良い小説だ」という考え方を紹介したけれど……俺ならこの終わり方はさせない。
中盤からJohn Lennonの『Imagine』を少し取り入れてはいるけれど結局はそれも否定して……でもだからといって曲を見捨ててしまいはしなかった。いや、好きだった曲を否定したからこそ自分の中に残しているのかもしれないけれど。

お忍びでやってきた社長の評価はなかなかにいいですな。でもあまりに明確すぎやしないか。「直貴を導く灯火(トーチ)」としての役割があまりに露骨すぎてリアリティに欠けるというか……RPGの途中で神様が降りてきてラスボスまでの道筋を教えてくれたみたいな感じ。
でもその問いかけは重要。差別は永遠になくならないと思う。正当化するつもりはないけど……少なくとも自分の身を守りたいという建て前っていうか大義名分があるから仕方ないっていう考え方が通ってる以上それに適応順応して生きていかなくてはならないってのが俺の出した結論。世間体を無視して突き進んでいけるほど力強い人間やなくて申し訳ないけどな。
あと自殺はいろんな意味で遺していく人のことを考えてない。まあ、考えたうえで死ぬという選択肢はありえないか。とにかく自殺であれ他殺であれ人を失うということの重みは大きい。大往生でさえ、な。
逆に言おう。俺は自分の葬式で本心から泣いてくれる人がいれば幸せさ。告別式でどんな聖人君子に仕立て上げられるか知らないけどね、俺としちゃ堂々とマイナスも晒していただいてけっこう。ただし生きてる間はイヤ。

今まで考えたことがないテーマだったから新鮮だったのもあって、『差別』というものを学校の授業とは違うアプローチで考えることができた。学校では障害者や部落、在日の方に対しては、本人は何も悪くないんですよーなんて言うけど、犯罪者の家族に対しては絶対に言わないだろうと思った。カエルの子はカエルというやつ考え方もあるし、学校という場の建て前として、犯罪の容疑者に同情の余地なんぞ見せてはならんのだと。下手に同情を誘う教育が犯罪への引き金にならない保証はないからね。

オススメをもらわなかったら読んでなかったと思う。勧めてもらってだいぶ経ったけれど、この本を勧めて俺に再考の機会をくれたあずさにこの上ない感謝を。ありがとう。


久々に医療関係の本を覗きました。解剖と手術についての本の、四肢の手術についてのページだけね。何年ぶりに復習するやろ。臼蓋形成不全とかペルテス病の患者に対して施す臼蓋形成の手術。骨の端を切り取って股関節にあてがって固定するやつ。有名ですよねー(乾いた声)。
今でもボルトは入れなきゃならんのだろうか。図説にはなかったけど……調べてみたらまだボルトは要るみたい。そりゃあすぐ骨はくっつかんからな。そういえば俺、自分のボルトどこやったかな……捨てたりはしてないはず。
っていうか7年前の品々は本当にまだちゃんと残ってるやろうな!?自分の部屋からは出してへんけど、クローゼットの上段になかったらもう見当たらないぜよ…