卵月(誤字)

ライブレポートは8割方書き上げた!あと1日あれば完成するかな。

こないだのライブレポート書いてるけど……一時的にメモを落としてたのが響いてます。曲順とかはちゃんと分かるけど、詳細なライブの様子も分かるけど、その時に感じた感情までは補完しきれないからすごく苦労してる。

4月です。卯月です。中学の頃から旧月名は全部言えます。だから毎年毎月、月が変わる度にこういう言い方をするつもり。

ブラウンGPがやってくれた!
デビュー戦でポールトゥワンツーフィニッシュ!!バトンは一度もトップを譲らずに、まるでソフトタイヤも使わなかったかのように独走状態。バリチェロはスタートでアンチストールが効いて出遅れたらしいけれど、最後の最後、ベッテルとクビカの衝突事故で幸運が舞い降りてきた。最後まであきらめなかったバリチェロは最高の仕事をしてみせた。今回のMVPだと思う。
しかしながら頑張ってたのに結果が伴わなくて主役になれなかった人もいるわけで。ウィリアムズの中嶋一貴であったり、レッドブルのマーク・ウエバーであったり、マクラーレンコバライネンであったり。トゥルーリだって変なペナルティにかかったし、クビカとベッテルは揃いも揃ってポディウムを逃した。
悲喜こもごもっていうヤツですな。次のマレーシアは一貴も経験あるしトヨタも得意なコース。期待できそう。

KERSはぶっちゃけて言えばマリオカートのキノコです。でも積むだけで速くなるほどラクな機械でもないみたい。ただ熟成させてメリットがより確実なものになっていけばみんな使い始めるようになる。リヤタイヤの負担なんてのはパワーをかけるタイミングやからそりゃあ2速でハンドル切りながら立ち上がってる時にボタン押したらアカンわ。スピンする。
小さく軽く作る技術なんてのは技術者の力量の見せどころやからデメリットになってる重量的マイナス要素もそのうち解決できるようになるやろ。


図書委員会研修旅行で清水寺に行ってきた。メインで一緒に行動してたメンツが日本橋の時と同じやってんな。あと司書の先生とかも居はったが。
寺の中に縁結びの神社があるなんて……神仏習合の極みやろ。しかもみんな学業成就でも健康でもなく、縁結びのお祈りやお守りばっかりなのはどうなのよ。それはでも“運命的な部分があるから自分の力だけじゃどうしようもない”のよな。だからある意味では理にかなっている。俺もやったし。
コイツら合格は自力で掴み取る気か!!すげー!本気でやりかねないというか普通に出来そうだからすげー!

それから寺町通りまでの3キロメートル以上の道のりも、おしゃべりしながらワイワイ行けばつま先立ちでもツラくなーい!(俺だって歩く時くらいはちゃんとかかとまで使うわ!!)
さすがに日本橋で散財(一人長門祭)したから京都で買うものはなかったけどな。でもみんなで出かけてる時間が楽しいんやで。そういう時間が俺は大好きやし、これからも思い出して“良かったな”って思うんやろな。

人嫌いが激しいから誰彼かまわず奉仕できる体質ではないけど、見込んだ人には忠義を尽くします。力になろうとします。信頼できる人のために働ける喜びっていうヤツが欲しい。
俺は人の上に立って周りを引っ張って行くのは苦手。でも誰かについていってサポートに回る側は苦手じゃない。幸いにも俺を導いてくれる人が俺の周りにはいっぱいいる。
湖風祭でも今年はビジュアルをやろうと思う。すでに同じクラスになる人からオファーをもらってる。俺が信頼できる人の1人で、同じ図書委員だったから、ハンドボールをはじめとした日頃の感謝を込めて本棚整理も手伝わせていただいたし。
さっきも言ったけれど、信頼できる人と一緒に働ける喜びや信頼できる人のために働ける喜びっていうのはかけがえのないものだと思う。その人の笑顔と“ありがとう”が欲しいから、っていう部分もけっこう大きな比重を占めてるやろ。

誰か会社起こしたら俺を使ってやってくれ。必ず力になるから。



WOWOWで『時をかける少女』録画して観た。アレは自分が信頼できる情報筋のなかでは複数の誰に聞いてもプラスの評価しかなかったから、相当な期待感を持って見始めた。
結論から言えばシナリオも作画もよく出来てた。脚本は原田知世版の“続編”だったと知ったのは今やねんけど……古いバージョンはいざ知らず、このアニメ版『時かけ』、面白かった。
貞本デザインのキャラクターはあんまり好きなわけじゃないから最初は抵抗あったけど、見ていくうちに世界観に馴染んできたし、エヴァで見慣れてる部分が大きいから悪くなかったよ。キャストはあえて本職を使わなかった。そういうバックグラウンドを考えれば演技力はまあまあ。
ストーリーで核になってくるのはやっぱり“後悔”。もう少し掘り下げて言えば、本来なら時間が誰にとっても不可逆なものであるが故に“後悔先に立たず”であるということ。結果というアウトプットを見てから行動というインプットを変更するなんて卑怯なことは出来ない、本来ならね。それが人生であって、強いて後悔を回避する方法をあげるとするならば、「やらなくて後悔するよりもやって後悔する方がいい」っていう俺の座右の銘か。
しかしながら因果律の逆転を可能にした――つまり結果を見てから行動を起こせるようになったタイムリープという能力。しかも『既定事項』の概念がないから本当に何でもできたんやな……でもタイムリープに頼らないあるがままの現実を受け入れるっていう結末でも良かったんやない?そっち方向のメッセージ性が弱かったような。まあいいか?
千昭くん未来人オチは今の観点で見たらギリギリな気もする。シリーズ物ならアウトやけど単発ならセーフかな。


以前から問題視されていたけど、遅れること1ヶ月、5月10日に『超月刊長門』発売決定。800円。買います。
原作が進まないから、ここ1年くらいの角川の引っ張りようには涙が止まらない。夏に新しく創刊するヤングエースの新スピンオフ、というかスピンオフのスピンオフ……『長門有希ちゃんの消失』が始まるという。頑張りすぎやろ!そしていいかげん原作は書けよ!
まあ、『涼宮ハルヒの微笑』『涼宮ハルヒの軌跡』『機械知性体たちの輪舞曲』『長門有希の憂鬱』なんて大長編が2次創作から出てしまったらそうそう結末なんて書けるもんじゃない。細かいストーリーはそれこそありとあらゆるシチュエーションのストーリーがあるわけやし。
そういう逆境(?)下で新しい作品を生み出すだけの力量がなかった谷川は一流の作家ではないのかもしれない。一流の作家はそういう逆境に負けないと思う。

ライトノベル作家であったり、同人出身の漫画家は普通の作家や漫画家以上に本名を出さない傾向がある。っていうか殆ど出さない。それはペンネーム≒ハンドルネームという部分も或いはあるのかもしれないが、俺が思うに自分の創作物に対して自分の本名を書ける(ないし“賭けられる”)だけの責任が持てないのかもしれない。社会的地位や立場の意味で見ても本名を出すには厳しい部分があるのだろうしね。
落語家が本名で活動しないのは、かつては落語家が卑しい職業として見られていたから。だから本名も公開しなかった(今は本名も公開しているし卑しいなんてことは微塵もないこと弁解しておく)。
今の漫画家やライトノベル作家にも同じことが言えるような気がする。普通の小説家は本名が分かる場合がまだ多いけど、ライトノベル作家は顔すら出さないから素性が分からない場合が多すぎやろ。作家と読者の距離はけっこう遠い。
社会的地位を上げるのが先か、内にこもる体質から抜けて自分をさらけ出してゆくのが先か、難しいところではある。