2枚着れば寒いが3枚着れば暑い。


調子乗って『ハイペリオン』文庫版上巻買った。ずっと“読みたいけど読めてない本リスト”に入ってたのよ。大体の狙いは分かっていただけるかと思います。
あと下巻は少なくとも買いたい。続編まで読むかどうか分からないけど、読むとなれば合計8冊になるわけで。間違いなく高校の間には読みきれないなとか思うわけでございます。

オリコン見てきたらシングルウィークリーチャートの15位に茅原実里Paradise Lostが入ってた!いや俺買ってないけど!
もうちょっと売れてくれると思ったんだけどね。ジャケットがやっぱりヘンだからか。
未だに長門有希のCD(歌い手は同じね)の記録を抜けずにいるのはちょっとかわいそうと言うかなんと言うか。
でもホリィ・セン(生徒会長になられました!改めておめでとう!)によれば、キャラクターを知ってても中の人を知らないなんてケースは普通にあるそうで。ましてや知名度だけで言えばまだまだ伸びしろがあるから、仕方ないのかな、とも思います。
ただヴィジュアル的にも結構いける人だと思うんだけどねー。バギーも褒めてたし。

事故で抜けた自転車のハンドルがセンターポジションに戻りません。
何回ネジを締めなおしてやってもズレる。助けてください。

今日の小論文講演会の話。


 学研の先生が来てくれはって。全国を飛び回って毎日こういう小論文の話をしてはるらしい。本当にお疲れ様です。
 今回はちゃんと起きてました。小論文で大学受ける気はないけど、興味もあったし、別に大学入試だけの話じゃないもんね。

 至極当たり前のことを言っていると言えば確かにそうなのだが。そこを“当たり前”だと認識できるのはスペックがちゃんとしてるっていうことなんだろうか。まあ“当たり前”だからスルーしてしまうこともあるのだが。
 大体は小論文や新書なんてのは、“当たり前”のものを掘り下げることに意味があるわけです。
 たとえば、地面(土のね)なんてのは、平らなものとして“当たり前に”そこにあるだけで、普段その存在を認識することはないやろ?でもその平らな地面にスコップを突き刺して掘り返して、その中の仕組みや地層や土壌やらを調べるのが小論文であり新書なわけで。ほじくり返すことが仕事なんだけど、それは必要なことなんだよね。
 ウチのクラスでも誰かが『屁理屈だ』なんて言ってたけど。それは意見が矛盾してるときに使うんだよ。

 抽象的な話ばっかりでくだらなくなるかと思ってガクガクブルブルしてましたが。サンプルテキストを提供してくださったもんだから非常に分かりやすかった。
 そのなかでも『ネット王子とケータイ姫』は例の“読みたいけど読めてない本リスト”の中に入ってる。『ケータイを持ったサル』『ケータイ小説のリアル』『他人を見下す若者たち』とか、現代の若者や携帯電話について論じた本は読んだけどね。直接この本を読んだことはない。引用を目にしたことはある。

 で、今回のサンプルテキストに対する俺の反論を腹痛に耐え続ける俺の体力の続く限り。

?ケータイは人間関係をもって人間を襲う魔物となりうる。
 それはないぜ。道具ってのは使う側の人間に責任があるんだ。何とかとハサミは使いよう、ってヤツです。
 で、“メールの返信がないと、相手にされてないと思う”という価値観――俺はコレを『ヒステリックな価値観』『神経質な価値観』と呼ぶけど――。こいつを除去して、もっと『穏やかな価値観』に差し替えることが必要なわけです。加齢によって穏やかになることもあるけど……どうなんだろうね。
 俺みたいな(ヘンな)人間ばっかりならこの手の問題は起こらないんだけど、そうも行かないのが世の中。だけどなんとかして価値観を修正しないとマズイ。
 人間を変える簡単な方法はいくつかあって、『(それをやることが)カッコいいという価値観を広める』『(それをやることで)お金が儲かるというシステムを作ること』なんかだ。
 崇高なボランティア精神とかを馬鹿にするつもりはないけど、手っ取り早く人間を動かすならこの2点のどっちかを使えばいいわけです。間違っても法律改正では動きません。動いてもブーイングが飛んでくるね(政府に)。
 別にこの2つは汚いやり方だとは思わないけどね。現実的だと思う。後者の考え方は後で出てきます。

 おまけ話のケータイ小説。あれは小説としてはダメだと言う意見には賛成。俺個人としては、より高度な小説にステップアップするためのスタートラインだと思えばいいんじゃないかなと。そこをゴールないし頂上だと思ってしまえば読解力の成長はないけど、これから読書を始める人のための第一歩と言う意味での存在意義はあると思う。
 今日の先生は、ケータイ小説は『不幸の共有』だと言うてはった。なるほどそれは俺が考えているところの『かわいそがり』論だ。
 俺らの年代の、男よりは女に多い傾向だけど。“同情”が友情の証拠だという考え方ですよ。“誰某が不幸なときは、『かわいそう』って言ってあげるのが友達だ”というやつ。すなわち、友人どうしで不幸を共有すると言う考え方ね。
 ケータイ小説もそれと同じやないかな?『読者』という巨大な共同体のなかで不幸を共有する。
 だから、小説と言うよりも、友達が話してるのを聞く感覚に近いんじゃなかろうか。俺も2冊くらい読んだけど、そんな気がした。

 さらにおまけ。
 『いい小説』の定義。それは書きたいことを書ききらずにいることだと先生は言った。全体的には賛成だ。論説は書ききる方がいいんだけど、小説は書ききらないほうがいいわけで。その余裕が深みを生むんじゃあなかろうか。再読する価値だと先生は言っていたが。


?森林伐採は良いことなのか悪いことなのか、そして『地球に優しく』って何よ!?
 森林を伐採することで雇用を確保して国が潤ってるという、発展途上国(って言っちまっていいのか)マレーシアの抱え込む矛盾です。発展途上国は環境問題と言う崇高な理総論と、経済発展と言う泥臭い現実論の間で板ばさみになってるわけです。
 環境保護をやりたいのなら、それで儲かると言うシステム=CO2排出権があるじゃないか。“崇高な”環境問題と“下劣な”商売の話が結びつかないと思ったら大間違い。どっこい、カネが絡めば人は頑張るんですよ。
 ま、地球に優しくって言っても、それは『人間が住みやすい地球環境を維持する』ためなんだよねー。他の動物はちょっとくらい温暖化になっても死なないヤツも多いんだってね。
 こっからが俺の持論。先進国が途上国(の、たとえば森林伐採)を非難できるのは、自分の国がそれをやってないからだと思うんですよ。つまり、イギリスは自分の国では森林を(少なくとも大量には)伐採せずに他の国から木材やら紙やらを買ってる。だからそうやって気楽なことが言えるんだろーね、と。逆ギレ気味だったマレーシア首相の気持ちはそう言うことも含まれてるんだろう。文字にはされてなかったけどさ。
 別に環境保護が悪いなんて言いませんぜ。むしろこのまま無神経な生産活動を続けていくことによって、生活を豊かにしようとする行動が、知らず知らずのうちに『生きる本能』に逆らうことになって首を絞めていたかつての時代よりはナンボかマシ。

 ロボット三原則ってあるじゃないですか。

1.ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。
2.ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、あたえられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。
3.ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己をまもらなければならない。
これの3.に従うことが、1.に反しているのだと気づかない。気づかないからロボットは生存しようとする。
 優先順位的にはそう言うことです。優先順位が低いはずの『発展』が、優先順位の高いはずの『生存』を脅かしていることに気づかない。ああ恐ろしや恐ろしや。
 ただロボットと人間の違いは、『生存』の優先順位の高さなんだよね。まあそこはそことして。
 人間が他の動物と違うのは、自らの意思で『自殺』が出来る生き物だということ。(他の動物でも、自分自身が原因で死んでしまうことはある。ただその自覚はないからね)

 閑話休題。つまり、その環境保護活動はあくまで『人間が住み続けられる環境』を作っているのだということを知っておかなくちゃいけない。それだけのことといえばそれだけのことなんだけど。


?格差社会って何やねん。そして格差社会の現実に目を向けろ!
 コレは反論することは特にないけど。気になったことはいくつかあった。
 『希望格差』っていうやつですよ。フリーターとサラリーマンじゃ年収も違うけど、未来の安定性も違う。フリーターには5年後10年後の、ある程度の保証がないわけですよ。
 今150万円の格差があったとすれば、10年後には200万円とか300万円とかの格差が出るだろうと言う未来の格差。さらには福利厚生の充実度の違い。それが希望格差なわけで。
 正社員になりたいと強く感じます。今さらだが。

 『格差社会』はマイナスの言葉だと。この場合のいい言葉・悪い言葉っていうのは、耳が痛いか痛くないかっていうこととニアリイコールなんだろうな。ただそれが避けられない現実としてすでに到来してるんだね。だからそんな悠長なことは言ってられないんだろう。くさいものに蓋をする余裕はもうないんだろうね。