I disapprove of what you say, but I will defend to the death your right to say it.

自分は優柔不断なのか思慮深いのか、それが分からなくなることがよくある。或いは両方なのかも知れぬが相変わらず分からない。

I disapprove of what you say, but I will defend to the death your right to say it.

タイトルにも置いたけどこの一文はご存知でございましょうか。俺の座右の銘の一つでもある。
ヴォルテールと言うフランスの作家――いや思想家か……定義までは分からん――、の遺した名言なんだけど。
意訳すれば、
“私は君の言うことを非難はするが、それを言う権利は死んでも守る”
といった感じかな。原文をどこかで目にしただけで、本当はもっといい翻訳があるのかもしれないけれど。

でも俺はこの考えを常に頭に置いて話してる。
俺は人の発言とか押さえつけるのは嫌いやし、自分が押さえつけられるのもイヤだ。TPOを考えた発言は必要だが、立場が違うがために言いたいことが言えないなんてナンセンスなのが大嫌い。
理由も目的も明言されずに、二つ返事で動けなんてのが一番あかんね。吐き気がするくらい嫌い。

「大人ぶってカッコつけてさ、言いたいことも言えないなんて絶対イヤだ。そんなんじゃ、何も変えられない!」
そんな科白もあったねえ。ただ俺が言いたいのはこれとは多少ニュアンスが違う。自分の発言を抑圧するのは自身の外面ではなくて、紛れも無い他者だから。ややこしい事例を出すと却って分かりにくいかもしれない。不甲斐ない書き様でごめんなさい。


人に言われて動くのは構わないんだが、それならきっちりと理由を言え理由を!!言われたままに従順に動くコマがどこにいるか!
でも自衛隊だと、わざとそういうこともさせるらしいっすね……エマージェンシーな状態で個人個人に考えていられたら危険だから、だそうな。でもそれを知った上で、研修なんかに自衛隊が使われるのはアレか、駒とか歯車とか、そういう意味を孕んでいる(この字で合ってるのか!?)のではないかと思うことも間々あるんだよ。

まあ、それなら刃向かえば良いのかと言えばそうでもない。ただ俺は理不尽なことまでイエスマン的に呑まなくてもいいと言うだけだ。集団の調和をぶち壊せなんてのはまたそれはそれで、めがっさナンセンスでしょうに。

要するに、間違ってるとか分からないと思ったら、遠慮なく意見をぶつけたらいいんだよ。後で諭されることになるかもしれないけれど、それならそれで、その経験から得られるものもきっとあるはずだから。それに、多少理想論めいていても一向に構わないのだよ。実現するか否かはまた別の話だけれどもね。
反論、討論の機会を奪い取ってしまえば内側からの発展はあり得ない。だから可能な限り、内部からの意見は聞くべきだと思うんだわな。それが出来ないから集団はストレスを抱える。ストライキのように破綻する。抑え込むための堤防が決壊すれば、溢れ出るのは不満と言う名の濁流なのさ。具体的にはやはりストとか、裁判沙汰とか。内部からの意見を聞いていれば不要な事柄ばかりだと思う。

まあ企業だったら、その要求を一から十まで呑むことは不可能かもしれない――というかぶっちゃけインポッシブルだ――が、せめて利益を追求しない環境下なら、それは実現可能なのではないだろうか、と。

そんな考えに基づいて卓球部の後輩らに接したら思いっ切り自由を履き違えた奴が何人か居て萎えたなぁと。今日言いたかったのはそれだけなんだけどね。

ただ今のギター班の後輩はさすがにね、しっかりしてる。俺の1年前とは比べ物にならんということは、相当人材に恵まれたんだろうな。幸せなことです。

4年前は、中3って受験真っ只中で大変やし、年齢も上やから尊敬の念はあったけど、今となっては中学生なんてガキだな、なんて思ったりする。至極当然ではあるんだが。

ただ、年下/後輩から学ぶことが無いと決め込んでしまうのは、自己発展の貴重なチャンスを放棄してしまうことと同義なのだ。後生畏るべしとはよく言ったもので。
あと同じ論理で、素人さんから学ぶことも多々ありますな。
教える側は教えられる側の3倍の理解が必要とはよく言われるが、それなら俺は人に何を教えることが出来るだろう。何も教える資格など無いように思えてならない。

畢竟[ひっきょう]、立場に拘らない集合体として、個々の発展を図ることが必要なわけで。結論から言えば、対等なface to faceの話し合いって大事なんだなと。ここまで独白を終えたところで、明日の朝は早いので寝ます。期末テスト面倒だが仕方ない……。