TRAIN-TRAIN 走ってゆけTRAIN-TRAIN どこまでも
藪からスティックに久しぶりの更新。ふんもっふ。
貴文からの要望によりまして今回は長門さんを採用。
小説口調(もどき)にぞお贈りいたしまする。(無意味な係り結び)
時は昭和八弐年拾壱月弐日、午後九時参八分。
いつものようにノートパソコンの前に向かっていた俺の携帯電話に、一通のメールが舞い込んだ。
送り主はその二つ名を『蝦夷』とも『やまし』ともいう、その人である。
“明日暇か?”という、ぶっきらぼう且つその真意の読み取れない文意。
その真たる目的は、大回り乗車で琵琶湖一周しないかと言う突拍子もないものであった。
一体いつそんな海王星までぶっ飛んでいけそうなほどとんでもない計画を思いついたのやら知らないが、明日の朝出かけないかと言う計画を前日の夜9時半に提案してくるほうもどうかと思うがこれ以上言い過ぎると次の月曜日の午前7時37分発の普通電車内にてスリーパーホールドを極められかねないのでこの辺りで報道自粛とさせて頂こう。
赤線が今回の行程。
8時30分 草津発
8時33分 南草津着8時47分 南草津発
9時03分 山科着9時21分 山科発
10時03分 近江今津着
基本的に新快速ばかりで構成されているところに、蝦夷の用意周到さを感じる。
狡猾だと言ったらドツき返されたのでこれ以上は禁則事項です。
ただ、彼が味方で居て本当によかったと思うことがひとつあった。
断じて1つだけ、と言う意味ではない。One of Manyの感覚を忘れないで頂きたいものだ。
Wikipediaを用いて大回り乗車の合法性を証明しておいてくれたのは本当に心強かった。
さて。ここまでが前フリであるゆえ、ここからが旅情本編となる。
お茶でも飲んでゆっくりと待っておくれ。
8時30分の電車に乗り遅れる事は絶対に許されないので、8時20分に待ち合わせる事にした。
俺はさらにそこから10分ほど遡って行こうかと考えていた。
単に時間的保険を掛けておいただけのこと。断じて、
「学志舎OBにあるまじき遅さだわ!罰金よ罰金!!」
などと言いたかったわけではない。しかしながら。
何故か草津駅についたときには17分であった。相対性理論に影響されるほどのスピードを出したつもりはないのだが。
まるで平日のようにエスカレーターを降り、まるで平日のようにホームの端へと向かう。
この「電車に乗る時は混雑を避けて後端に乗る」という習慣はもはやDNAレベルで染み付いているようであり、俺も異存を唱えることはなく同伴していた。
まずすべき事は、南草津駅での途中下車。そこで切符を買い直す。
で、ここに旅の真髄アリ。切符代は1区間140円。
そして山科まで向かう。この行路自体は俺も――蝦夷は俺以上にそうだが――慣れ親しんだ風景の中であるゆえ新鮮味の欠片もない。
しかしながら湖西線に乗り入れてからが違う。
序盤は見慣れぬ都会を見ているような感覚なのだが、堅田を過ぎた辺りからは、
左手に山、右手に琵琶湖
という絶品の風景。
しかも雲の隙間から差し込む日光が放射線状に見えると言うのがまた乙である。こればかりは写真に収める事が困難なのだ。
そして近江今津に到着。
これは電車に乗るまで知らなかった事だが、西北の方まで乗り入れている“新快速”は、新快速とは名ばかりで各駅停車であるというのだ。
どうやらあの近辺の住民にとっては、実際に新快速であるかどうかではなく、“新快速”というブランドが重要であるらしい。
後1ヶ月もすればこの辺りは雪が降り積もり純白に染められるであろう。 by 蝦夷(1991〜)
近江今津で30分待ち。
まぁ。一時間に一本しか電車がない場所なのだから、“わりと”効率的な動き方が出来ているのだろう。
その後近江塩津へ。
もうこの辺まで来たらあれだ。日本ではないような気もしてきた。
俺にとっての“日本”は、草津と膳所と京都市と、せいぜい奈良くらい(笑)。
で、そこからがまた滑稽なものである。
新快速で一気に南下してやろうと言うのだ。
いやはや。一時間以上も新快速に揺られると言う俺にとっては未体験の境地であった。
しかも五目並べをしながらという辺りはどうなんだ。
ちなみにリザルトは1勝1敗。
後世に残る名勝負であったかどうかは……また別の話。