S/C
ひょんなことから、8月2日に公開された映画『スカイ・クロラ』を観る機会を得た。
備忘録等も兼ねて、いくらか文章を書きつけておこうと思う。
前評判はまったく分からなかった。某崖の上が世間で騒がれていたせいか――それこそヒステリックなほどに。僕はノイローゼになるかと思った。昔に比べればクオリティが下がっている気もするのだが敢えて問うまい。今延べたいことはこれではないからだ――、その対比というか入り込む余地がなかったというか、とにかく、心配になるほどに世間でその名前を見かけなかった。書店の店先で軽く本を積み上げてあったり、膳所のPARCOの映画館の前にポスターが掲示されていたり、或いは高校の図書館のところにまたポスターがあったりはしたのだが、テレビ告知があまりにないものだから本当に心配した。
製作陣に関しては文句はない。専門家、とまでは言わないまでも、多少その筋に興味がある人なら誰しも一度は耳にした名前だ(監督が)。ただ、なんというか、宮崎アニメの一般大衆に対する知名度の前に屈してしまっただけだから、興行売上はともかくクオリティ的な不安要素はまったくなかった。
作画はあまり僕の好きな画風ではなかったけれど……質そのものは本当に綺麗。もともと戦争ドラマなのだから、あまり原色系の色遣いをされると観るほうは本当に困るので。
かといってミリタリー系の迷彩色遣いというわけでもない(厳密には軍隊ではないが)。いや、空軍だからこれで合っているのか。どちらにせよ色遣いが本当によかった。
キャラクターデザインについては良し悪しを決めきれないだろう。ここは個人個人が決めること。僕の好きな感じとはかなりかけ離れていたが、だからといって感情移入できないような悲惨な結果にはならなかった。絵そのものが粗雑だったら、或いは観るに絶えなくなってしまっていたのかもしれないが。
声優陣はまああんなもんと割り切っていいの?たどたどしくしゃべってる感があったのはキャラクター?まさか演技力の欠如ということはないよねぇ。
オーバーリアクションでもそりゃあ、気持ち悪いでしょうけどよ。ただ演技がちょっと淡々とし過ぎてたかもしれない。世界観を差し引いても。
航空機についてはそれほど詳しくないけど。プッシャー式のプロペラ機でしたね。
現実世界にはあったのか?と思いながら調べてみたら、一応あるにはあるらしい。メリットもそれなりにあるから、完全に絶滅してわけじゃないのね。
脚本の出来ははっきり言って面白かった。意外性があると言う感じではないけれど、ベタ過ぎて厭になってくる感覚がまったくない。世界観自体はむしろ静かなほうだから僕個人としては入りやすかったことを差し引いてもそう思う。子供っぽくないと言うのかな、間の取り方がうまかったから、詰め詰めの感じでもないし、話の展開が分からなくなると言うこともない。
情景が転じたときに間軸がどれくらい進んだのか、をそのつど瞬時に察知しないとストーリーの流れは分かりにくかったかもしれないが、それは逆に説明的でないから、それはそれで良かったのだ。
キャラクター達の心情をトレースしながら観ていく上で真っ先に僕が思い浮かべたのは“ヒューマノイドの哀しみ”。まあ厳密に言えばキルドレはヒューマノイドではない。Humanを模している“偽物”だからHumanoidなのであって……しかし一般的な人間とは根本的に異質の存在という意味で言えばヒューマノイドに近いかもしれない。
僕のことをよくご存知の方なら、ヒューマノイドと僕と聞いて、すぐにひとつの名前を思い浮かべてくれるだろう。
『涼宮ハルヒの憂鬱』シリーズに登場する、“ヒューマノイド・インターフェース”、ながもんこと長門有希である。
しかし長門は、キルドレの場合とはその悲しみは根本的に違う。
シリーズ第4作『涼宮ハルヒの消失』で描かれた長門の悲しみ、それは変身願望だった。人間とは異質の存在である長門が、自分が壊れてしまうことを知りながら人間になりたいと言う願いを抱え込み、結局はキョンにその選択権を託す。その選択権を自分の物にしてしまわないのが、長門の最後の理性なのだ。
『アンドリューNDR114』(原題:『The Bicentennial Man(200歳の男)』)の主人公アンドリューも、人間として生きることを望んだ。それも変身願望。
長門の論説文ではなかった。長門が絡むと熱弁を振るってしまうから情けない。
不老不死の辛さ、ってのはあまり(正式な文献では)読んだことがない。長門関連の二次創作なら言及されているのだが、オフィシャルの文章では今のところ(『分裂』時点)まだない。
キルドレは結果的に、輪廻転生を繰り返すわけですが。
僕は“仁朗=ティーチャー”説と“仁朗=優一”説の両方を考えながら観ていた。
でもよくよく考えたら、告知ポスターの『もう一度、生まれて来たいと思う?』っていうキャッチコピーから考えれば輪廻説しかないのだ。仕方ないじゃないか。ポスターなんてほとんど見かけなかったんだから。
キルドレたちが戦う理由。
俺が考えたのは単純。“仕事だから”であって、また、“戦うこと”以外に生きる理由を見出していないから。
前者は説明の必要はない。ロストック/ラウテルンは民間企業とはいえ軍隊だ。軍人だから戦う。
後者は、他に自分を活かせる方法がないと考えているからではないだろうか。
ただ哀しいかな、その戦争には“終結”がない。普通の戦争なら、いつかは終わる、勝てると思うからやってられるわけで。終わりがない(現実論ではなく希望的観測であっても)戦争に意味はない。だから正気の人間なら戦っていられない。キルドレは人間ではない。戦うためだけのコマだから戦えるのだ。それだけのこと。
ティーチャーと優一の対決をマジでやるのかと期待した。
でも結果は惨敗、優一は戦死し、回収・再生を経て名を変え再び赴任する。これは映画版だけの結末だ。
本来はシリーズの時系列で一番後にある1作目のそれより先が描かれることはない。
しかし劇場版ということで、ある程度未来の続きを残したまま終わらせるのは典型的な手法。
そうでなければ徹底したバッドエンドなので。ちなみに原作はそうでした。
小説版と映画版は微妙に設定が違う。ただストーリーの本筋をぶっ壊しはしない。
それよりも本文のメカニカル描写が多いから、ある程度機械の知識がないと読みづらい。クルマや飛行機が好きな人にはまったく苦にはならないのだが。
総括すれば、マニアックな航空設定にこだわる人にはお勧めしない。フィクションの兵器だし、時代設定自体にそれほどこだわりがないようなので。もちろん現世とはかけ離れた世界のものだから、それほど細かく考えなくてもいいと、僕は思う。
お勧めするのは、戦争についての考え方を斜めから斬りたい場合。
かなりシニカルな、手段が目的になり変わってるような考え方のもとに“キルドレ”をはじめとした世界観、というかその世界の中での価値観、社会的地位が成り立っているので、純粋に平和を願うタイプの映画ではない。
ただ、現在の世界の希望的未来の、さらにそのあとの、最悪の場合の仮定として読めばそれなりにリアリティはあるかもしれない。