混沌の中心、諸悪の根源、予言されたマイブームと悲しき自己暗示。

相次ぐ猛暑。主観的な言い方をすれば、7月末よりも数倍酷くなっている。
あくまで感覚的な問題だが。やはり制服というのが痛いのだろうか。
冬でも暖冬。年々気温は上がる一方。やはり地球温暖化の影響だろうか。
そういう分野に興味を持つ人は、ドキュメンタリー映画不都合な真実を観ることを強く勧めておこう。膳所高校の図書館にも書物版があったはずだ。

天候とか時間の流れ、というものの意義は、主観的結論こそが全て、と思うのは俺だけか。
要するに、2時間だろうが10年だろうがあっという間だと感じればそれは短い時間であり、たった5分であっても、授業に倦怠感を感じたり、睡魔の革命軍に襲撃を受けたりした場合は、久遠の如き長い時間ではないかと思う。体感時間こそが真の時間。
その理論で行くと19歳くらいが人生の折り返し、とはよく言ったものだ。
しかしながら出元は言わない。


前置きが長くなった。なかなか手の込んだ更新が出来ないものだから、いざやり出すとなると非常に時間がかかる。脈動的更新とでも言おうか。
俺がとにかく“ありきたり”が嫌いな種族である、というのは既に広く知られている為、今さら深く説明する必要はなかろう。それは。ある程度以上自分と付き合いがある人なら誰でも知っている。


ここからが本題だ。今日はスタディーサポートだったがそのことは特に重要ではない。


憂鬱

今日、

涼宮ハルヒの憂鬱』『溜息』『退屈』
を買って来た。全て
BOOK OFF
からである。
しかしながら、この序盤3巻しかなかったというのが悲しい。
あと6冊(いずれは7冊に増えるであろう)は全て
新書で買わねばならんのかと思うと気が重い。
1冊550円だから残り6冊で3,300円。
やってやれぬことはない、といったところか。
というより、そうでも言っておかないと頓挫しかねないから、空元気で言っているに過ぎないとも思うが。いわゆる自己暗示?

実を言うと、半年ほど前から、いずれ読み出すであろうという予感――よりは確かなものだが確信ではない――がしていたので、衝動的に読みたくなったことに関する驚きというのは特にない。たまたま引き金が重なってこうなっただけのことだ。
最初は小川から借りようかと思っていたが、(こんなことは言うべきではないが)あまり本を借りるというのは好きではない。特にシリーズものは。
単発ならまだ借りようかという気にもなるが、やはりシリーズは“コンプリート欲”が出てしまう。
その象徴がいわゆる“オトナ買い”
というやつだ。高校生にして大人買いを覚えた俺の立場は一体どうなる。


来月になれば絶望先生第10集が発売されるはずだし、今の所全く動きはないが頭文字第36巻も発売になるはずだ。
先月、今月は例外的にCDを買ったが、原則として俺の小遣いはほとんど書物に消えてゆく。
吉田修一の本をもう5〜6冊ほど読んだ。
次は小手鞠るいの著書に手を出そうかとも思っているが、一向に文庫版が発売される気配がない、微塵もないのでとりあえず保留。と言うか、望み薄。



とりあえず。最近小川絡みの出来事が多すぎる。
ただ彼がカルロス・ゴーンの本を無料〔タダ〕でくれたから、読んでみようと思う。
前編英語だがわりと理解できる。パッと読みで70%くらいか。
高校1年生としては妥当なレベルの本だ。
小川は読むのを諦めたらしいが。


最近、異常なスピードで本が増えるので、思い切ってたくさん売って来ようと思う。
ただBOOK OFFの店員の目利きは必ずしも正確ではない。
レアな書籍が105円なんてことはザラにある。
大量に持っていくと1冊あたりの単価は安く買い取られるようだ。
さっさと鑑定(?)を済ませてしまいたいから10円の値をつけておこうという魂胆がよく見える。

絶望した!
真摯に鑑定しないBOOK OFFの店員に絶望した!

今、全国1千万のBOOK OFF店員を一挙に敵に回したな。

パリのオペラ座前やニューヨークやソウル駅にも店舗を構えているというのに……。